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おとぎ草紙ぶろぐ-kaitaku

そして陸奥といっても現在の岩手で、そのころは奥六郡呼ばれていて、現在の宮城の北部も奥六部で、あった。

蝦夷は金の採掘の坑夫に徴用され、
平地の森は朝廷の開拓民によってどんどん樹が切り倒され
蝦夷の食料の鳥獣や森の木の実、山菜が枯渇し
蝦夷は山岳部においやれた、現在でも岩手は三年ごとに太平洋からのヤマセで稲作が不作になる。

なぜ、東北の民が農耕をせず、狩猟生活をおくってきたわけは
特に岩手の大地は酸性土壌で稲作に適さず、野山で狩猟生活でも充分生活できたから
で、東北は前期縄文文化、後期縄文文化があるものの弥生文化を経ないで極端にいうと遅れた部分では
いきなり江戸時代になったようなものです。
もののけ姫のあしたかたたちの蝦夷の末裔の暮らしはまんざらうそではないのです・・・続く

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