『試練3』
ともかくそんなことはあっても二月の公演を乗り切らねばならない。
チケットは何人の人の手に渡っている。もうお金はもらっていて。
上演できなければお金は返却しなければならない、
お金は入金、次第、様々な機材の購入や諸雑費につかっている。
そんなことになれば大赤字である。野田のオッちゃんは万が一を予測し、
チカの代役に美穂ちゃんをたてることにした。
チカの観客に聞かせるセリフは影で美穂ちゃんがふきかえていたこともあり、
セリフが一番、頭に人っている。
その美穂ちゃんだが、
「私、チカちゃんに対して同情みたいなものがあったと思うわ
もっと深い人間としての交流なければいけないんだわ」と語って。
美穂ちゃんは稽古に参加しないチカに話を聞き、
説得しようとしたらしいが、美佐子さんと野田のオッちゃんに止められた。
野田のオッちゃんが、
「説得して、一時の心の迷いみたいなものは消えるかもしれんが、
自分白身が葛藤し、掴んだものでないと本物じゃないんだ」
美佐子さんにも
「これから美穂が介護福祉士なれば、こんなことはいっぱい出てくると思うわ。
人は言葉だけでは動かされないの」と言われた。
美穂ちゃん自身にも心の葛藤があったのだろう。
ともかく、もしもの場合チカの代役は美穂ちゃんになった。
中学生の時から演劇経験のある美穂ちゃんはチカに比べれば
演技で格段の差がある。
しかしチカのあの独特の破裂音、
専門的には裏返り現象と言うらしいが、
どうしても美穂ちゃんがやると嘘臭くなる。
その辺も野田のオッちゃんも解ってるようで
「真似はするな自然に出た演技をしろ」と言っていたが。
障害のない役者が障害者を演ずる場合、
その障害を誇張してそれらしく見せようとしてしまう。
映画『レナードの朝』 のロバート・デニーロにしろ、
体の硬直やチック表情をことさら誇張していた。
もちろんデニーロがこの演技をする為に医学書を読み、
医者の意見も聞いたらしい、どの筋肉が硬直するかなど研究したのだろう。
でも障害者の役には障害者が適役であろう。
カンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞した。
『八日目』 のダウン症の青年役を演じた。
パスカルディケンズも、実際にダウン症の知的障害者だ。
話を元に戻そう、火種の馬鹿本が一月十五日ぐらいから寮から失踪した。
情けない男でこのような噂が学校中に広まり、
いたたまれなくなり逃げ出したのである。
とにかく回りの仲間たちの馬鹿本の怒りの集中は凄まじかった。
僕と同じ脳性麻痺だが言語障害が僕より酷い、電子科のカトちゃんなんか。
「ばかぼんのやろ~! ころしてや~る!」と
独特の語尾をのぱす話し方で拳をふりあげ、
馬鹿本に対する怒りを露わにしてた。
馬鹿本は一月の末頃、
秋田市内で見つかり親父に保護されたらしい、
なんでも秋田市内の歓楽街、川反(かわばた) で
遊び呆けていたらしい終了まで後、二ヶ月ちょっとだったが無断外泊で、
それも期間が長すぎたということで学校は退学になってしまった。
こういう男にはお情けをかけると、
世の中を甘く見る癖がつき本人の為にならないと言う理由だった。
馬鹿本も自分自身と真剣に闘うことかなかったのだろう。
でも馬鹿本が退学なると同時にチカが稽古に顔を出すようになった
それは本公演の三日前であった。
チカの復帰は全スタッフ、
役者のみんなの拍手で向かえられた。
ワーニャ婆さん役の麗先生なんか、
演技なのかほんとうのことか分からない歓迎の仕方をした。
「ミーシャよぐ帰(け)ってきたな~、暖っけシチューでも飲め」と言って、
なんにも人ってないマグカップを差し出した。
チカはそのマグカップを左手でつまみ、
□に運ぶと同時に涙がこぼれ落ち・…
「おっ婆しゃんアッリッガット″ポポポ」と言った。
しばらくぶりに聞レいたチカの肉声であった。
僕は側にあった、
小道具の机の上から急いで花束を掴むと花束をチカにわたした。
音効担当の杜の風の丹沢さんが気をきかせ、ウェディングマーチを流した。
美穂ちゃんが僕たちの腕を組ませた。
龍二さんが僕たちにスポットをあてた。
川野さんが僕たちの前に立って。「結婚を誓いますか」とセリフを言った。
僕たちが「誓います」と---いつもはここでインチキ教団の教祖に
変貌したペペレンコが「神は二人の結婚を許さないのだ!」というセリフなのだが---
「二人の結婚を・・・結婚を…」となかなかセリフが出てこない---
なんと川野さんが小道具の聖書の上に鼻水を垂らした。
それを見てみんなは笑いころげた---試練<完>
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