十八の旅立ち

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雪深い会津の里も、雪はすっかり溶け土筆(つくし)や蕗の墓(ふきのとう))の可愛い芽が顔を出していた。

 

二〇〇〇年四月五日、爺ちゃんは片山印刷所と横っ腹にロゴの入っ

た平成二年型スバルサンバーで荷物と僕を送ってくれた。

僕の実家は五~六年前まで爺ちゃんが印刷所を開業してたが。

ワープロ、パソコン、コピー機の普及によって仕事が激減し現在は廃業していた。

 磐梯山にはまだ雪があった。春の日差しを浴び、まだツボミの桃

の果樹園を貫く東北自動車道を仙台に向かった。

 

そして僕が入校する東北障害者職業能力開発校の寄宿舎についた。

やたら長ったらしい名だが要するに障害者の職業訓練校である(以

後、訓練校と記述します)僕は九月頃体験入校で、すでにどういう

施設かだいたいは知っていた。

 

ただ同年代の奴らが通う学校とはちがって中途障害者もいるので

上は五十五才から下は十五才まで年齢がバラバラということだ。

僕は二階の二〇三号室に入ることが決まった。一部屋四人で一番、

上が野田さんという僕の父と同じくらいの歳の人だった。

 そしてその次が北条さんという四十一才の叔父さんだ。た。もう

一人は山形の白鷹(しらたか)町という町からきた布袋(ほてい)さんという

二十二歳ぐらいの人だった。

野田のオッちゃんと北条のオッちゃんは宮城の県北の出身だった。

僕はオッちゃんというと叱られたがそう呼んでいた。


2に続く