さて続きです
池袋で息子と別れて次女と一緒に次女の部屋へ行きました。
何度か電車を乗り継いで、着いたのは閑静な住宅街にある小さな古いマンション
学生も多く住んでいるきれいな街
雑多な感じの無いところです。
次女は
「なんか明日食べるご飯作ってよ。」
って言うもんだからスーパーに寄ってちょっと材料を買って帰りました。
しかし、マンションのキッチンは一口コンロに小さなシンク。
とても張り切って料理を作れる感じじゃない。
さらに、池袋で遊び倒した私の足はパンパン。
スマホで今日の歩数を調べると
すでに15000キロ歩いてる
こりゃ、今夜は足がつるかもしれん。
そこで、材料を全部鍋にぶち込んで煮物にすることに。
和食に飢えていた次女は大喜び。
これぞ怪我の功名。
そんなこんなでちょっとゆっくりして、夕方には息子との待ち合わせの吉祥寺へ向かったのでした。
その日は金曜日。
あのねー、地元では20℃を超える日もあって上着も要らない日が多かったのよ。
でもその日の東京は寒かった。小雨も降るし。
長袖のシャツに白いパーカーを着て白のパンツ姿の私。まるでマシュマロマン。
せめてもの救いは紺色のコート。
寒いよりはマシ。
この究極のダサいおばさんが特級おしゃれ街の吉祥寺へと行くなんて。
なんの罰ゲームかよ?とか思いながら中央線の電車の中で揺れながら、当時長女が住んでいたマンションからご飯を作って息子に持って行ったのを思い出しました。
あの時も中央線。がたがた揺れる電車の中で新宿から立ちっぱなしでした。当時は腰の手術後でちょっと歩くのが不安定だったので杖を持っていました。荷物が嵩張って持ちにくかったなぁ、、
そんな事を思い出して、ちょっとね気分はどんよりとしてきたのですが
今はそんな頃の姿は想像できないくらいの息子と合流した先は、吉祥寺のおしゃれなイタリアンの店。
サイゼはどうなった?と思ったら次女が
「せっかくだから、美味しいイタリアンを食べようよ。(お母さんの奢りで)」ってお店を予約してくれていたのでそちらのお店に行きました。
なんか、でっかいチーズの中でパスタを絡めて出してくれたり
ピザもモチモチで香ばしくて
鯛のアクアパッツァとか食べたりして
みんなで「ヴォーノ」とか「マンマミーヤ」とか
「こいつは美味いぜセニョール」とか
正しいのか正しく無いのか分からないイタリア語を連発していました。
みんなでご機嫌で食事を終えたのでした。
息子も次女も満足したようでした。
その後は再び吉祥寺で別れてそれぞれの部屋へ。
その日は次女の部屋にお泊まり。
次の日は息子の部屋へ。
次女の部屋に着いた私
シャワー浴びて足に湿布を貼りました。
その日の歩数は約20000キロ
程よく疲れたので良く眠れました。