就職氷河期は、長いあいだ“地獄”と呼ばれてきた。
仕事はなく、未来は閉ざされ、
社会から見捨てられた世代だと語られてきた。

だが──
あの時代には、まだ“社会”があった。

電気はつき、水は流れ、物流は動き、
病院は開き、年金は支払われ、
世界は安全という前提の上に立っていた。

私たちは、その“当たり前”の上で苦しんでいた。
だからこそ、あの地獄は、いま振り返れば天国だったのだ。

2025年度を境に、物語は静かに閉じる。
就職氷河期の救済が終わるのではない。
国家が、それどころではなくなる。

2026年度。
政府が見通せる最後の年度。
原油は細り、材料は尽き、
フィジカルAIは開発だけが進み、実用化は遅れる。
年金も投資も揺らぎ、
世界は連鎖倒産の縁に立つ。

社会を支えていた“見えない手”は、
もう私たちを抱えきれない。

エネルギー制約は、
雇用を奪う前に、仕事そのものを消していく。
物流は縮小し、製造業は止まり、
電力価格は跳ね上がり、企業の利益は蒸発する。

もはや、
「若者に仕事が回らない」という問題ではない。
仕事そのものが存在しない時代が始まる。

その瞬間、
就職氷河期は“過去の話”として処理される。
救済ではなく、
上書きによる終焉。

そして、最後に気づく。

あの時代は、まだ“誰かが世界を支えていた時代”だった。
社会が動き、国家が機能し、
未来という言葉が、まだ意味を持っていた。

いまはもう、その前提が静かに崩れつつある。

だから、こう言うしかない。

最後に沈黙したのは、神ではなく、社会そのものだった。