日本企業の生産性の低さ──その正体は、派手な失策ではない。
もっと静かで、もっと根深い。
“無駄な事務”という名の、誰も止めない儀式だ。

生産に寄与しない行為が、堂々と“仕事”の顔をして歩いている。
その象徴のような出来事が、先日報じられた。

愛知の大手部品メーカーの子会社で、
ある男性社員が「離席記録」を提出させられていた。
コピー、稟議書返却──それだけではない。
トイレの回数、大か小、所要時間までエクセルで記録し、上司へ送信。
分単位で刻まれた排泄の履歴が、プリンターのインクと紙を消費していく。


もしこれを上場企業がやっていたら、株主総会は炎上するだろう。

株主の資金を使って、社員のトイレ管理。
そのために管理職が時間を割き、
本来の労働は後ろへ追いやられる。

これはもう、
生産性の向上ではなく、生産性の破壊だ。

会社側は「頻繁で長時間の離席があったため、必要な労務管理だった」と説明した。
だが、必要な労務管理とは本来、
成果を上げるために行うものであって、
社員の生理現象を監視することではない。

人数が増えると組織は官僚化する。
官僚化すると、目的より手続きが優先される。
手続きが増えると、イノベーションは死ぬ。
今回のニュースは、その縮図だ。

本来の仕事に使われるべき時間が、
「離席記録」という謎の儀式に吸い取られていく。

管理職はその儀式を監視するために存在し、
社員はその儀式のために働く。

──誰のための仕事なのか。
──何のための管理なのか。

その問いが、組織の中で完全に消えている。

だが、逆に言えば、
こんな無駄な儀式を続けられるほど、
日本企業にはまだ“余裕”があるのかもしれない。
生産性が低くても倒れないという、奇妙な安定。

しかし、その安定はもう長くは続かない。
世界はすでに、
「無駄を削ぎ落とした者だけが生き残る」
というフェーズに入っている。

トイレの回数を数えている暇は、
本当はどこにもない。

舞台の幕が下りる瞬間のように、
静かに、しかし確実に──
日本企業の“無駄”は、未来を削っている。