初任給が40万円を超えたというニュースが、静かに世の中を賑わせている。

企業は若い才能を引き寄せるために、待遇を一気に引き上げている。

その舞台の陰で、ひっそりと取り残されている世代がある。就職氷河期を通り抜けた、50代前半の層だ。

賃金は全世代で上がっているはずなのに、この世代だけがマイナス。

若手の待遇改善の裏側で、彼らの賃金はむしろ削られている。

数字だけを見れば、ただの統計の一行にすぎない。だが、その一行の奥には、長い年月の重さが沈んでいる。

氷河期世代の健康状態は、他の世代と比べても明らかに厳しい。

入院に至るケースは多く、体調への不安を抱える人も少なくない。細かな数字を並べなくても、状況の悪さは十分に伝わる。

若い頃から続いた長時間労働、低賃金、パワハラ、非正規化。その負荷は、静かに、しかし確実に身体へ積み重なってきた。

中年期に入ってから表面化するのは、むしろ自然な流れだ。

介護リスクも同じ構造の上にある。
未婚で親と同居する氷河期世代は約250万人。
そのうち相当数が、親の介護や死別をきっかけに経済的困窮へと追い込まれる可能性がある。

介護離職は致命的で、再就職は難しく、賃金はさらに下がる。時間、体力、金。

介護が奪う三つの資源を、この世代はどれも十分に持っていない。ここに感傷はない。
ただ、構造が示す通りの未来があるだけだ。

人生満足度の曲線も歪んでいる。

本来なら50代で再び上昇に転じるはずが、氷河期世代だけは20代から下降し続け、そのまま横ばいで止まる。

上昇に必要な条件が、最初から欠けている。
奪われたものは、中年期になっても戻らない。
曲線が上がらないのは、当然の帰結だ。

それでも——ここで幕が下りるわけではない。

曲線が上がらないことと、これからの時間に意味がないことは同じではない。人生曲線は過去の積み上げで形づくられるが、中年期以降の選択は、別の軸を描くことができる。

氷河期世代は、
「ないものの中で、どうにか形を作る」
という生き方を、長い年月で身につけてきた。

その癖は、これからの時間を支える強さにもなる。

上昇ではなく、安定を選ぶ。

逆転ではなく、維持を大切にする。

派手な光ではなく、手元の小さな灯りを守る。

その静かな選択が、思っている以上に人生を温める。

未来が劇的に明るくなるとは言わない。
ただ、暗闇の中でも、自分で灯せる光はある。

それは大きくなくていい。
見失わない程度に、そっと照らしてくれれば十分だ。

そして、その光は、これまでのどの時期よりも、
今の自分にいちばんよく似合う。

背筋を伸ばし、静かに前を向く姿に、その灯りはよく映える。