道路沿いのゴミ集積所。
汚い所は、やはりどこまでも汚い。
風に舞う紙片や、湿った匂いが、その場所に染みついた時間のように漂っている。
必ずしも正しいとは言えないが、汚れた場所には、なぜか同じ気配をまとった人が集まる。
そういう空気に馴染めない人は、早かれ遅かれ、そっと離れていく。
まるで、その場所が持つ湿度に耐えられないかのように。
けれど、稀にそんな環境の中にも、不思議と清らかさを保っている集積所がある。
よく目を凝らすと、そこには、誰にも気づかれないまま、静かに手を動かしている人の存在がある。
袋の口を整え、崩れた形をそっと戻し、濡れた地面を軽く拭っていく。
その手つきは、まるで役目を終えたものに最後の祈りを添えているようにも見える。
同じゴミ、同じ集積所。
けれど、触れる人が変わるだけで、景色は驚くほど違って見える。
そこには、物の価値ではなく、触れる人の“器”がそのまま滲み出る湿度 がある。
ゴミという言葉には、冷たさや、見捨てられたものの気配がつきまとう。
しかし、役目を終えたものに向けられる手つきが丁寧であるとき、その“価値のないもの”は、なぜか柔らかな光を帯びる。
それは、物が美しいのではなく、扱う人の心が、美しさを生んでいる のだと思う。