人の心には、それぞれの“器”が存在する。

その器には、いつも何かが盛られている。
仕事、趣味、家族、友人──

日々を形づくるさまざまなものが、少しずつ場所を分け合いながら、ひとつの器の中で静かにバランスを取っている。

だが、たとえば定年のように、その中のひとつが突然抜け落ちると、器の重心は大きく揺れる。


空いた場所を埋めるように、趣味や家族との時間、友との交わりが膨らんでいくこともある。

そうして、ゆっくりと新しい均衡を探していく。


けれど、その隙間に入り込むものが見つからないとき、ギャンブルやアルコールのような“手軽なもの”が、するりと器の中に入り込んでしまうことがある。

少量であれば潤滑剤として働くが、過度に許してしまえば、器そのものにヒビを入れてしまうほどの力を持つ。

団塊世代の多くは、仕事を人生の中心に据えて生きてきた。

そのため、退職によって仕事が器から抜け落ちた瞬間、バランスを大きく崩してしまった人も少なくない。

それは個人の弱さというより、時代が彼らに“仕事以外の器”を育てる余裕を与えなかった側面もある。

そして、団塊ジュニアもまた、その価値観や働き方を強く受け継いでいる。

だからこそ、同じような傾向が自分たちにも静かに潜んでいることを、どこかで意識しておく必要がある。

得るものがあれば、失うものもある。

それは、出会いと別れがいつも対になっているのと同じだ。

人には、それぞれの器がある。

その器に見合った何かで満たされていれば、
邪のようなものが入り込む余地はない。

もし、これから失われていくものが見えたなら、
その空白を埋めるための“新しい何か”を、静かに探しておくといい。

器は、空いたままにしておくと、思わぬものが入り込んでしまうことがあるからだ。