夜になると、ふとした拍子に、
「生きる価値」という言葉が胸の奥に沈んでくることがある。
昼間は聞き流せたはずの言葉が、静けさの中では、やけに重たく響く。
いまの時代、人は簡単に“価値”という物差しを手にしてしまう。
SNSでも、職場でも、誰かと比べ、誰かに比べられ、自分の立ち位置を探そうとしてしまう。
けれど、そもそも──
生きることに価値なんて、本当に必要なのだろうか。
社会の中では、人は「人材」として扱われる。
組織に属する以上、役割や成果で評価されるのは自然なことだ。
そこには基準があり、数字があり、比較がある。価値は測られ、順位がつき、評価が下される。
でも、人材と“人”は、同じではない。
個人としての人には、価値を測るための物差しがそもそも存在しない。
誰かと比べなければ、評価という概念すら生まれない。静かに息をして、ただ今日を生きているだけの人に、価値というラベルを貼る理由はどこにもない。
夜の部屋でひとりになると、人はどうしても自分を小さく感じてしまう。
価値が見えないと、自分が薄れていくような気がすることもある。
けれどそれは、あなたに価値がないのではなく、ただ“誰かの物差しがそこに届いていないだけ”なのだと思う。
価値が見えないことと、生きる意味がないことは、まったく別の話。
生きることは、価値の有無とは無関係に続いていく。
朝が来て、風が吹き、季節が巡るように、
人はただ、生きていていい。
価値を探すよりも、まずは今日をそっと抱きしめること。
それだけで、生きるという営みは静かに続いていく。
もし、生きる価値というものをあえて探すのだとしたら、それは、穏やかな日々を送れること──
そんなささやかな時間の積み重ねなのかもしれない。
夜の静けさの中で、そのことを思い出せるだけで、少しだけ呼吸が楽になる。