本来、会議とは何かを決めるための場だったはずだ。

 議決事項があり、選択肢があり、判断がある。

 そのために人が集まり、時間を使い、知恵を出し合う。

 しかし現実には、その“本質”から静かに遠ざかっているように思える。

「ちゃんと議論しましたよ」

というアリバイを残すための儀式。

 あるいは、最初からゴールが決まっている話を、

「みんなで決めました」

と見せるための舞台装置。

 そんな場面を、私たちは何度見てきただろう。

 会議室の空気は議論の熱ではなく、責任の所在を曖昧にするための湿度で満たされている。

 誰も反対しない。

 誰も賛成しない。

 ただ、時間だけが過ぎていく。

 そして最後に残るのは、

「まあ、そういう方向で」

という、誰の言葉でもない謎の結論。

 会議とは、本当に“決める場”なのだろうか。

それとも、“決めたことにする場”へと変質してしまったのだろうか。

 もし本当に議決が目的なら、A4サイズの提案書を各自が一枚ずつ作り、AIの議長が淡々と最適解をまとめた方が、よほど筋が通っているのではないか。

 少なくとも、責任の所在を曖昧にするための沈黙や、「異論はありません」という空気の圧力よりは、ずっと健全に思える。

 会議とは、本来“決めるための場”だったはずだ。

 しかし今の私たちは、
“決めたことにするための場”に慣れすぎてしまったのかもしれない。

 だからこそ、AIが議長を務めるという極端な想像が、むしろ正気に見えてしまうのだ。