記憶の結晶

 初めて海水浴に行った日の思い出は今も残っている。熱海の海岸だった。

 海水を初めて舐めてみたのだが、とても塩辛くて驚いた。

 その後、海水浴やスキューバダイビング、ウェイクボードなど、何度も海水の味を感じてきたけれど、あの熱海の海水浴場で味わった塩味の強烈な印象は、今もなお鮮明に残っている。

 記憶とは、あの海水のようなものだと思う。

 そのままではしょっぱくて、時に苦い。

 けれど、時間という太陽にさらされるうちに、余分なものが静かに蒸発していき、最後に残るのは“塩”のような本質だけだ。

 そしてその塩は、さらに時間をかけてゆっくりと結晶になる。

 形が整い、光を受けてわずかに輝き、
その人だけが持つ固有の輪郭を帯びていく。

 だから人は、昔を思い返すとき、つい「昔は良かった」と口にしてしまうのだろう。

あの頃が完璧だったわけではない。

 むしろ、苦いことやしんどいことの方が多かったはずだ。

 それでも、時間が雑味を蒸発させ、心が耐えられる形に編集し、最後に残ったものだけが“結晶”として手のひらに残る。

 昔を懐かしむのは、
過去に逃げているのではない。

 あの頃の景色や匂い、誰かの声や、海の塩味の記憶が、今の自分を支える小さな灯りになるからだ。

 「昔は良かった」という言葉は、過去を美化しているのではなく、今を生きるために必要な結晶を取り出しているだけなのだ。

 しょっぱさも、苦さも、やがては自分を支える味になる。

 だから今日という海を、もう一度静かに見つめ直してみる。

 そこにもまた、未来のどこかで結晶になる何かが、静かに溶けているのかもしれない。