1997年、昭和の名残が静かに薄れていく中で、団塊ジュニアはその変化に気づく余裕もなく、バブル期の延長のように自分を磨き、人とのつながりを広げ、経験を重ねていた。
就職氷河期でも「就職を勝ち取る」という言葉がしっくりきて、努力で未来を切り開こうとする人もいたが、現実には求人が追いつかず、報われない日々だった者も少なくなかった。
それでも若さという大きな力が、足し算と掛け算で未来を描けると信じていた。
若い頃の人生は、知識や出会いを増やし、経験を掛け合わせることで広がる。
団塊ジュニアはその真っ只中にいて、社会の変化に気づく余裕もなく、増やすことこそ成長だと信じエネルギーを投入していた。
未来はどこまでも続くように思え、足し算と掛け算だけで生きていけると疑わなかった。
しかし、日本の働き方の実態には年齢による役割があり、
若者はプレイヤー、
中堅はプレイングコーチ、
高齢層はマネージャー
能力よりも風格と言った役割が求められていたのは確かだろう。
スキルアップが声高に語られていた裏で、実は何も変わっていなかったのだ。
ところが令和になると、その仕組みは突然姿を消し、本当に実力主義へと一気に舵が切られる。
こんな急旋回できるなら30年前にやれよと思った団塊ジュニアも多いだろう。
団塊ジュニアとっては、残念ながら微妙なタイミングになってしまった。
足し算の季節は静かに終わり、人生は引き算の季節へと移り始めた。
令和の実力主義の波は想像以上に速く、二回り若い管理職が次々と現れた。
価値観も働き方もまるで別世界のようで、戸惑いを覚える人も多かっただろう。
彼らから見れば、スキルを使う場を失った団塊ジュニアは“引退予備軍”に映るのかもしれない。
ここで初めて、「個」と「組織人」が必ずしも重ならないことに気づく。
そしてふと、こんな思いがよぎる。
組織に身を置いてきたからこそ育った“自分らしさ”もあるのではないか、と。
そこから、自分を丁寧に見つめ直す“素因数分解”の旅が始まる。
何が自分を支え、何がもう必要ないのか。
割り算の季節とは、その問いと向き合う静かな時間でもある。
素因数分解を続けていくと、残るものは思っていたより少ない。
持たなくてもよいものがわかると、軽さとが得られる。
その軽さが、これからの人生の旅の自由度を支える確かな土台になるだろう。
増やす季節、減らす季節を経て、今は本質だけを残す季節に入った。
複雑な経験は静かにほどけ、残るのは役割でも仮面でもなく、自分が大切にしてきた想いだけだ。
人生の後半とは、縮小ではなく、本質だけで生きる自由を手に入れる時期なのだろう。
足し算では見えず、引き算でも気づけなかったものが、割り算を経てようやく浮かび上がる。団塊ジュニアは今、その入り口に立っている。
これまでの経験をそっと抱きしめながら、これからの時間を自分のペースで選び取っていく。
足し算でも引き算でも割り算でもない、“自分という素数”で生きる季節が、静かに始まっている。