煽り運転のニュースを耳にするたび、
ふと、その人の日常の人間関係はどうなっているのだろうと思う。
もし普段からあの調子で怒りをぶつけていたら、
生活はとっくに壊れてしまっているはずだ。
人は、どこかで譲り合わなければ生きていけない。
けれど車という小さな密室に入ると、
なぜか人は自分の感情だけを優先してしまう。
相手の顔も事情も見えないから、
“ただの邪魔な存在”として扱ってしまうのだろう。
そこには、相手の物語を想像する余白がない。
本来、人間関係はもっと繊細だ。
相手の表情や声の調子を感じ取りながら、
自然と距離を調整している。
イライラしている人には、そっと距離を置く。
泣いている人には、言葉を選びながら寄り添う。
嬉しそうな人がいれば、一緒に喜ぶ。
そうした小さな調節が、
私たちの毎日を静かに支えている。
相手の状況を想像すること。
それは、特別な技術ではなく、
人と関わるうえでのいちばん大切な力だと思う。
葬式の日に祭囃子を鳴らさないのは、
ルールだからではなく、
“今はそういう時ではない”と感じ取れるからだ。
煽り運転が悪質になっている背景には、
この“感じる心”が少しずつ薄れていることが
あるのかもしれない。
相手をただの他人ではなく、
どこかで誰かに大切にされている一人の人として見ること。
その想像があるだけで、
人はずっと優しくなれるのではないか?