和と洋とが出会うところには、
いつも静かな境があった。
互いを呑み込むのではなく、
違いを違いのまま尊びながら寄り添う。
それが本来の和洋折衷であった。
思えば、昭和から平成へと移る頃、
季節の営みもまた、
幕の内弁当のように整っていた気がする。
おみくじに一喜一憂し、豆が舞い、
カカオの香りが薄れる頃には菱餅の彩りが映えた。
桜が散れば鯉のぼりが空を泳ぎ、
スイカの皮をカブトムシがかじる。
蝉の声と線香の香りが遠のけば、
ツクツクボウシが夏の終わりを告げた。
兎とススキの夜を過ぎれば、
吐く息は白く曇り、
冷えた空気の匂いの中に綿雪が舞い降りる。
篝火の煙が揺れ、寺の鐘が静かに響く。
季節は、互いの領域を侵さず、
そっと並び立つように巡っていた。
幕の内弁当の良さは、
ご飯という静かな“基”があることだ。
基があるからこそ、
彩りは調和し、どぎつさを避けられる。
もし基を失えば、
ただの寄せ集めとなり、価値は崩れる。
それは先祖代々の体質とも言えるのだろう。
多様性もまた同じである。
境界を消すことではなく、
境界を尊びながら共に在るための作法であった。
商業的な都合でバランスを崩せば、
幕の内が幕の内でなくなるように、
節度を失えば多様性もまた名ばかりとなる。
和洋折衷とは、
混ぜ合わせることではなく、
違いのあいだに静かな橋を架ける行為であった。
季節がそうであったように、
人の世もまた、
境界を守ることで調和を得るのだろう。
静かな基があるところにこそ、
世界は美しく折り重なるのである。