今思うと、就職氷河期のあの時代、どうしてワークシェアリングという選択肢が広がらなかったのだろう。
理由はいくつもあったらしい。
労使の調整の難しさ、制度の未熟さ、そして意外なことに——
同じ氷河期世代の正社員の中にも、導入に慎重な人が少なくなかったという。
当時の私たちには、人のことまで考える余裕なんてなかった。
自分の生活を守ることで精一杯で、声を上げることすら難しかった。
もしワークシェアリングが導入されれば、収入が減り、将来がもっと不安定になる。
そんな現実的な恐れが、心のどこかにずっとあった。
けれど、安全を確保したと思ったのも束の間だった。
その後に続いたのは、働いても報われない日々。
努力しても評価されず、疲れ果てて職場を離れていく人もいた。
分かち合う気持ちが薄れていった組織では、仲間意識も育ちにくい。
気づけば、互いに支え合うはずの場所が、どこか乾いた風景のように感じられることもあった。
本来、人と人が分かち合う姿勢は、社会を支える大切な力だ。
けれど、あの時代は利己的にならざるを得ない状況が続き、その影響は今も残っている。
団塊ジュニア世代は人口が多いのに、横のつながりが薄いと言われるのは、きっとこうした背景があるのだろう。
それでも——
今からでも遅くはないと思う。
気づいた人から、少しずつ動けばいい。
誰かと話してみる、助けを求めてみる、逆に手を差し伸べてみる。
そんな小さな一歩が、これまでとは違う未来をつくることもある。
孤立を強いられた時代を生きてきたからこそ、
これからは自分の意思で“つながり”を選ぶことができる。
過去は変えられないけれど、未来はまだ白紙のまま。
その余白をどう埋めるかは、これからの私たち次第だ。