誰もいない一人の夜。
缶ビールとポテトチップを買い込み、YouTubeで80年代から90年代のCM集を眺める。

それはただのノスタルジーだと片付けることもできる。

だが、そこに詰まっているのは10代から20代の儚い幻想だ。

Z世代が「キラキラ」と呼ぶ光景を、団塊ジュニアも確かに夢見ていた。

団塊世代が「昔は良かった」と声高に語る姿をよく目にする。
だが、団塊ジュニアも同じ人間だ。笑えない。

ただ団塊世代と違うのは、団塊ジュニア世代の多くは仲間と語らうのではなく、平面の画面と沈黙の中で、ほのかな酔いとともに過去の幸せを噛み締めていることだ。

それを哀れだと切り捨てるのは浅い。
むしろ誇りに思うべきだ。

楽しかった時期があった。
夢を持った時期があった。
挑戦し、敗れたこともあっただろう。
だが、それがなければ思い出を振り返ることすらできなかったはずだ。

敗北の記憶があるからこそ、勝利の瞬間が輝く。挫折を知っているからこそ、夢の残像が美しい。

団塊ジュニアは、ギラギラと燃え尽きることもできず、キラキラを演出することもできなかった。

だが、沈黙の夜に過去を噛み締めるその姿は、敗北を知り、それでも生き抜いた者の証だ。

それは誇りであり、未来を語る資格でもある。