団塊世代の著作物には、しばしば「ワイワイ」「ガヤガヤ」という言葉が登場する。

それは彼らにとって、青春の象徴であり、集団の記憶の音だった。

大人数で育ち、学校も職場も群れの中で過ごすことが当たり前だった彼らにとって、
賑やかさは美徳であり、孤独は劣等だった。

その価値観は、団塊ジュニアにも押し付けられた。

「友達と群れて遊べ」「協調性を大事にしろ」——そうした言葉の裏には、
ワイワイとガヤガヤを肯定する親世代の響きがあった。

だが、ジュニア世代が直面したのは就職氷河期。

椅子取りゲームの中で、賑わいは虚しい残響にしか聞こえなかった。

群れの音に包まれながらも、実際には孤立し、
制度の隙間に落ちていく者が多かった。

皮肉なことに、その反動はZ世代に現れている。

彼らは「ワイワイ」「ガヤガヤ」という群れの音ではなく、
「キラキラ」という個の光を選んだ。

SNSの画面に映える光は、
集団の賑わいを演じることに疲れた世代の、
新しい居場所の選び方なのだ。

結局、世代の違いとは音と光の違いにすぎない。

団塊世代は群れの音を美徳とし、
団塊ジュニアはその残響に耐え、
Z世代は光を演出する。

だが根底にあるのは同じ——
「認められたい」「居場所を持ちたい」という欲望。

ワイワイもガヤガヤもキラキラも、
その欲望の形を変えただけの響きなのだ。