親子というのは、
どこか“劣化コピー”のように思えることがある。
歳を重ねるごとに、
その感覚はじわじわと実感に変わっていく。
特に、親の“悪いところ”ほど、
なぜか自分に色濃く現れてくる。
口癖、癇癪、偏見、頑なさ‥
若い頃は「自分は違う」と思っていたのに、
ふとした瞬間に、
その“似てしまった自分”に気づいて、
言葉を失う。
もし多くの人が似たような感覚を抱いているのだとすれば、
世代というものは、
劣化コピーの連鎖として続いているのかもしれない。
「老害」という言葉を聞くようになって久しい。
だが、その“老害”の遺伝子が、
自分の中にも組み込まれているとしたら‥
そのことに気づいたとき、
人は複雑な気分になる。
もしかすると、
老害に対して強く反応してしまうのは、
自分の中の“老害性”が騒いでいるからなのかもしれない。
同類同士は、
しばしば互いを敵とみなす。
よく、団塊世代が槍玉にあがる。
だが、もし私たち団塊ジュニアが、
同じ時代、同じ条件で生まれていたら、
果たして違う生き方ができただろうか。
おそらく、
私たちもまた、
“団塊世代”になっていたのだろう。
世代とは、
個人の意志を超えて、
時代の空気と制度の型に流し込まれるものだ。
だからこそ、
「自分は違う」と思い込むことが、
最も危ういのかもしれない。