今にして思えば、1993年はバブルの頂点というより、
**“頂点の幻影がまだ空に残っていた最後の年”**
だったのかもしれない。
その頃、私たち団塊ジュニアは、
大学という名の装填装置に詰め込まれていた。
誰もが「普通にしていれば報われる」と信じ、
就職市場という射出口に向かって、
まっすぐに装填されていた。
だが、引き金は引かれなかった。
いや、引かれたが、弾は放たれなかった。
就職市場という的は、すでに霧の中に消えていた。
新聞には、1992年の時点で景気後退の兆しが記されていた。
だが、今のように情報が溢れていたわけではない。
インターネットもSNSもなかった時代、
私たちは“空気”で未来を感じ取るしかなかった。
そしてその空気は、まだ甘かった。
大学生活は、どこか浮遊していた。
就職の不安など、まだ現実味を帯びていなかった。
一方で、同じ団塊ジュニアでも、
高卒で働き始めた者たちは、すでに車を持っていた。
あの頃、車は若者の必需品だった。
給料で買える新車が、いくつもあった。
それだけ、若者が“市場”として成立していた時代だった。
だがその時、「失われた30年」と呼ばれる時代の入り口に、私たちは気づかぬまま立っていた。
もしかすると、あれは自然な経済の調整ではなく、国策として“市場を潰す”選択だったのかもしれない。
誰が得をしたのかは、今もわからない。
だが、確かに富の偏りは生まれた。
そしてその偏りは、
静かに、しかし確実に、
社会の骨格を歪めていった。
アンバランスになったものには、
やがて元に戻ろうとする力が働く。
それがいつなのか、
どのような形で訪れるのか、
まだ見えない。
だが、あの1993年の空気を吸っていた者として、
私はその“戻る力”が、
ただの景気回復ではなく、
語られなかった者たちの声を伴うものであってほしいと願っている。