団塊ジュニアであっても元祖である団塊の世代のことはよく知らない。
当然と言えば当然なのだが、団塊の世代の大半は俗に言っていた中流と言う階層に住む住人たったためか、その生態は何となく知っていると言うか見てきたつもりである。
昭和の中流とは、よく言えば平均的、悪く言えば金太郎飴と言うか、どこの家も今程の差はなかった様に感じる。
もちろん、住んでる地域によって異なることだが、社宅や団地に住んでる層は概ね似たり寄ったりだった気がする。
たまに、個人商店の子供の家に遊びに行くと、団地とは違った雰囲気はあったが、同じような食べ物を食べ、同じような新聞記事を読んで、同じテレビ番組を見る。
基本的に購買行動も似たものだったと思う。
むしろ、個人商店の子供の方がおもちゃとか沢山買ってもらってた気もする。
一方で、父子家庭の飯場の子とか、母子家庭の子もいたし、両親はいないで叔父さんの家に預かられた子もいた。
今程、数は多くはなかった気がするが、昔は世間体で離婚しないことも多かっただろうから、潜在的な数は今と大差なかったかもしれない。
ただ、似たり寄ったりの中流が大多数の時代、何が普通か定義しやすい環境だったことは間違いないだろう。
中流の世界にどっぷり浸かった団塊ジュニアが、就職氷河期に突入してしまったことで、そのギャップが大きかったのは確かだろう。
以下、ある氷河期の詩
「普通という名の坂道」
同じテレビを見ていた。
同じ弁当箱を持っていた。
同じような家に住み、同じような未来を信じていた。
それが、「普通」だと思っていた。団地の廊下に
響く足音も、社宅のカーテンの柄も、似たり寄ったりで、それが安心だった。
でも、ある日、その「普通」は、坂道のように傾きはじめた。
面接の通知が来なかった。
合格の電話が鳴らなかった。
「普通にしていれば大丈夫」
そう言われて育った私たちは、普通のまま、
普通からこぼれ落ちた。
似たり寄ったりの中流は、似ていない者を見なかった。
だから、
こぼれた私たちの声は、風の音にまぎれて、
誰にも届かなかった。
それが、氷河期の始まりだった。