今日ってか正確には昨日、妹と2人で実家に新年の挨拶がてら顔を出しに行って来た。

妹はちょくちょく行ってるみたいだが、
僕は実家でおとんとどっしり座って話をするのは数年ぶりだった。

おとんと会う時はいつもドリーを連れて外で会ってたから。

おかんが作ったおせち料理を美味そうに食って盛り上がってたおとん。

おかんのおとんへの気遣いには何か子供としては感謝に値している。

もう何でもないように振る舞われたら、それはやはり子供としてはちょっと悲しいだろうから。

ケツカッチンだったので滞在時間は2時間程だったがとてもいい時間が過ごせた。

おとんが僕と妹、そしておかんに感謝しているという気持ちを伝えてきた。

離れて暮らすようになり、おとんは大分変わった。

良い方向にだ。

家族というモノの形は色々とある。

おとんとおかんは戸籍上はもう他人だが、実際はそうではない。

おとんを気にしてあれこれと行動してくれるおかんがいて、それに感謝しているおとんがいる。

共同生活中には出来ていなかったかもしれない相手への感謝。

それがたくさんあったなら離婚とかには至らなかっただろう。

でも今はそれぞれがやれる範囲でみんな家族を思い動き感謝している。

過去には戻れない。

今はきっと今出来る範囲内のベストを限りなくつくしているのだと思う。

だからそれでいいんだ。



少し焦ってしまう。

ツレとの新年会で色々と話をし、おとん、おかんのコトを考えると、
今の俺はもっと違うスペースにいなければならないはずだ。

親も歳を重ねて来た。

働き盛りのアラサーがこんなんじゃダメだ。

ただ俺を突き動かすのは結局根性論ではない。

根性論で何とかなるならとっくに何とかなってるハズだから。



妻への思いもそうだ。

結局独り善がりなのかもしれない。

悪循環スパイラルに入り込むのをようやく止められるようになって来た今日この頃ではあるが。



自分に出来る最大限の可能性はなんなのか?

のんびりとはしていられないハズだ。



焦ってもいい。

ただ焦り過ぎて悪しきベクトルにハマり込まないようにするんだ。

出来るハズだ。



自分をもっと信じてやらないといけないのかもしれない。

自信・・・そんなモノではどうにもならない現実を体験したから、
その意味がわからなくなってしまっている。

でもその意味のわからなさを超えないと違うスペースにはいけないのだろう。



家族への感謝を自信に変えて還元出来るようになるんだ俺は・・・きっと出来る・・・

今日の2時間は大きな意味を持った2時間だったハズだ。

自分をもう少し信じてやろう今日からは・・・・・