以前から興味はあったものの、
手を出すことのなかった作家山本周五郎の作品に初めて触れました。
黒澤明監督によっていくつか映画化もされているので、
多少は内容のわかるものもあり、どの作品を読もうかと本屋でにらめっこをしていました。
結果、選んだのは、
『季節のない街』
これを選んだ理由。
○最初の1冊目は映画化されているものの中から選ぼうと漠然と決めていたから。
○その映画を過去に観たかどうかはどうでもよかった。
○タイトルに引かれたから。
この作品は黒澤明監督の『どですかでん』の原作。
過去に観たことはないが、黒澤明監督、初のカラー作品であることは知っていた。
で、タイトルに引かれたから。
内容は全く知らなかったが、とにかく決定打はタイトル。
『季節のない街』・・・このタイトルだけで、色んな想像が膨らむ。
内容が僕のしたそれらのたくさんの想像とリンクするようなこともあるのかなんてことも
一人、勝手に楽しもうかなとか・・・・・
人づてに聞いただけなので、実際のところはどうなのか僕にはよくわかりませんが、
この作品は山本周五郎自身がある街へ行き、
その生活ぶりを取材したことに基づいて書かれているそうです。
だとしたら・・・感じ、想うことはより自分に激しく突き刺さってくる・・・
これは人間の根本的な当たり前の考えだったり、感情だったりするのだと思いますが、
あるひとつの物事において全く正反対の考え、感情が自分の心に浮かぶことがあると思います。
誰にでもです。
それは迷いという、一種の『ブレ』のようにとることもできますが、それこそが本心。
人間は真逆の考え、感情を同時に心に浮かび上がらせ、保有する生き物なのです。
それらを、人間自身がお国の違いがあれど便宜上勝手に決めた法律、宗教などによって、
秩序を守っているだけなのです。
大きな集合体においてはそれはある意味では必要不可欠なことではあります。
・・・・・こっちの話は今日はいらんか・・・・・
大きな集合体のことはまた違う機会にでも・・・・・
『季節のない街』・・・ここで起こる日常に心が暖まると同時に何かやりきれない想いもします。
自分がいかに心、空虚なのか、甘い人間であるのか、どれだけ恵まれているのか、
もっと言えばどれだけラッキーなのか・・・・・
ここの街の人たちがアンラッキーであるという意味ではありません。
わかっていないこと、気付いていないこと、愚かであること・・・・・
自分を否定し、そこから今度は自分を肯定していかなければいけないということを、
改めて認識させられました。
元来、そんなんではありますが、ここんところ特に落ち気味です・・・・・
この本に触れ、よりツライ気持ちになったのも事実です。
『本当になんなんだ・・・俺って・・・』みたいな具合に・・・・・
でも同時に、
『俺にもまだやれることはある!!』みたいなことも・・・・・
自分で自分に事故を起こすことは生きてく上で必要なことです・・・・・
自分に激しくぶつかってきた、とても意味あるショックな本です・・・・・
で、本題・・・・・
中でも『プールのある家』はどのように解釈すればいいのかスゴく心が動揺しました。
オヤジは・・・ある意味での人間の本質だと思います。
共感じゃないけど、わかる・・・・・
でも、僕も一応、一児の父親・・・そこまで逃避したらいかんぞ!!
絶対に守らないといけないモノがこの世の中にあるのだとしたら、
誰もが我が子でなければいけない。
そう想えないヤツらが世の中をグシャグシャにしてんじゃねーの?
守るというのは何も自分の下に置いておくことだけではない。
子供の存在を確実にキープできることだと思う。
そこまで考えて行動しなければいけない。
我が子の存在がいない人はその人の掲げる正義で動けばいいと思う。
それらの善悪が決まるのは一瞬ではないから。
長い時間かけてあれこれすればいい。
子供がいる人はそれは二の次にしろ!!
絶対に守れ!!
オヤジのことで思う他の気持ちもたくさんあるが、
このストーリーで最も大切なのはその子供のことだろう。
彼は幸せだったのかな?
父親の話を聞き、父親の飯を調達し・・・・・
父親が喜んでる姿を見て喜ぶ彼は幸せだったのかな?
彼の世界はそこにあるとても小さな世界だ。
少なくとも今のこの日本において、おおよその人が想像しきれない程、小さな世界。
彼はきっと賢かった。
だから、小さい世界ながらにも世界をしっかりと見ていたハズだ。
少なくとも、飯を調達しにいく一人の時間、一人の世界のときは・・・・・
『季節のない街』は、彼がオヤジと築いている二人の世界に比べて、遥かに大きな世界だ。
その大きな世界である『季節のない街』の外にはもっと大きな世界だって存在する。
そのことを彼はオヤジから毎日聞く話からわかっていたハズだ。
なのに彼はオヤジ・・・父親の下から離れようとはしない。
父親のことが好きだから?
父親のことが大切だから?
父親のことを傷つけたくないから?
父親のことを見捨てれなかったから?
父親のこと・・・・・・・・・・
いくらでも出て来る・・・・・
彼は自ら選んで、父親との世界に留まっていた。
その世界から飛び出すのが怖かったなどという感じはどこにもない。
これは依存?
父親はそうだろうが、息子はそのようには感じない。
いったいなんなんだろう?
この少年の考え、感情とはどんなモノだったのだろう?
僕にはわからない・・・わからないから知りたい・・・彼に質問が出来るのであれば聞いてみたい・・・
彼は大きな世界に興味がなかったワケではないだろう。
でもそんなことよりも父親といることが幸せだったのだろう。
賢い子だから自分で自分のことをしっかりと分析してそのようにしていたのだろう。
あるいはもっとシンプルか?
本能で父親との世界を生きていたのか?
だとしたら本能の意味って何だ?
動物の本能は生きることが根本だ。
人間には理性が存在するから、時にその本能が薄れ、崩れ、悲しい現実に向かうこともある。
彼はいったい?
彼は幸せだったのかな?
俺なんかじゃあ、彼の気持ちは想像しきれない。
彼の気持ちが理解できたなら何か変わるモノがあるのかもしれないとだけは俺自身思う。
だから知りたい、彼に聞いてみたい。
「君は幸せだったの?」
季節のない街 (新潮文庫)/山本 周五郎

¥620
Amazon.co.jp
手を出すことのなかった作家山本周五郎の作品に初めて触れました。
黒澤明監督によっていくつか映画化もされているので、
多少は内容のわかるものもあり、どの作品を読もうかと本屋でにらめっこをしていました。
結果、選んだのは、
『季節のない街』
これを選んだ理由。
○最初の1冊目は映画化されているものの中から選ぼうと漠然と決めていたから。
○その映画を過去に観たかどうかはどうでもよかった。
○タイトルに引かれたから。
この作品は黒澤明監督の『どですかでん』の原作。
過去に観たことはないが、黒澤明監督、初のカラー作品であることは知っていた。
で、タイトルに引かれたから。
内容は全く知らなかったが、とにかく決定打はタイトル。
『季節のない街』・・・このタイトルだけで、色んな想像が膨らむ。
内容が僕のしたそれらのたくさんの想像とリンクするようなこともあるのかなんてことも
一人、勝手に楽しもうかなとか・・・・・
人づてに聞いただけなので、実際のところはどうなのか僕にはよくわかりませんが、
この作品は山本周五郎自身がある街へ行き、
その生活ぶりを取材したことに基づいて書かれているそうです。
だとしたら・・・感じ、想うことはより自分に激しく突き刺さってくる・・・
これは人間の根本的な当たり前の考えだったり、感情だったりするのだと思いますが、
あるひとつの物事において全く正反対の考え、感情が自分の心に浮かぶことがあると思います。
誰にでもです。
それは迷いという、一種の『ブレ』のようにとることもできますが、それこそが本心。
人間は真逆の考え、感情を同時に心に浮かび上がらせ、保有する生き物なのです。
それらを、人間自身がお国の違いがあれど便宜上勝手に決めた法律、宗教などによって、
秩序を守っているだけなのです。
大きな集合体においてはそれはある意味では必要不可欠なことではあります。
・・・・・こっちの話は今日はいらんか・・・・・
大きな集合体のことはまた違う機会にでも・・・・・
『季節のない街』・・・ここで起こる日常に心が暖まると同時に何かやりきれない想いもします。
自分がいかに心、空虚なのか、甘い人間であるのか、どれだけ恵まれているのか、
もっと言えばどれだけラッキーなのか・・・・・
ここの街の人たちがアンラッキーであるという意味ではありません。
わかっていないこと、気付いていないこと、愚かであること・・・・・
自分を否定し、そこから今度は自分を肯定していかなければいけないということを、
改めて認識させられました。
元来、そんなんではありますが、ここんところ特に落ち気味です・・・・・
この本に触れ、よりツライ気持ちになったのも事実です。
『本当になんなんだ・・・俺って・・・』みたいな具合に・・・・・
でも同時に、
『俺にもまだやれることはある!!』みたいなことも・・・・・
自分で自分に事故を起こすことは生きてく上で必要なことです・・・・・
自分に激しくぶつかってきた、とても意味あるショックな本です・・・・・
で、本題・・・・・
中でも『プールのある家』はどのように解釈すればいいのかスゴく心が動揺しました。
オヤジは・・・ある意味での人間の本質だと思います。
共感じゃないけど、わかる・・・・・
でも、僕も一応、一児の父親・・・そこまで逃避したらいかんぞ!!
絶対に守らないといけないモノがこの世の中にあるのだとしたら、
誰もが我が子でなければいけない。
そう想えないヤツらが世の中をグシャグシャにしてんじゃねーの?
守るというのは何も自分の下に置いておくことだけではない。
子供の存在を確実にキープできることだと思う。
そこまで考えて行動しなければいけない。
我が子の存在がいない人はその人の掲げる正義で動けばいいと思う。
それらの善悪が決まるのは一瞬ではないから。
長い時間かけてあれこれすればいい。
子供がいる人はそれは二の次にしろ!!
絶対に守れ!!
オヤジのことで思う他の気持ちもたくさんあるが、
このストーリーで最も大切なのはその子供のことだろう。
彼は幸せだったのかな?
父親の話を聞き、父親の飯を調達し・・・・・
父親が喜んでる姿を見て喜ぶ彼は幸せだったのかな?
彼の世界はそこにあるとても小さな世界だ。
少なくとも今のこの日本において、おおよその人が想像しきれない程、小さな世界。
彼はきっと賢かった。
だから、小さい世界ながらにも世界をしっかりと見ていたハズだ。
少なくとも、飯を調達しにいく一人の時間、一人の世界のときは・・・・・
『季節のない街』は、彼がオヤジと築いている二人の世界に比べて、遥かに大きな世界だ。
その大きな世界である『季節のない街』の外にはもっと大きな世界だって存在する。
そのことを彼はオヤジから毎日聞く話からわかっていたハズだ。
なのに彼はオヤジ・・・父親の下から離れようとはしない。
父親のことが好きだから?
父親のことが大切だから?
父親のことを傷つけたくないから?
父親のことを見捨てれなかったから?
父親のこと・・・・・・・・・・
いくらでも出て来る・・・・・
彼は自ら選んで、父親との世界に留まっていた。
その世界から飛び出すのが怖かったなどという感じはどこにもない。
これは依存?
父親はそうだろうが、息子はそのようには感じない。
いったいなんなんだろう?
この少年の考え、感情とはどんなモノだったのだろう?
僕にはわからない・・・わからないから知りたい・・・彼に質問が出来るのであれば聞いてみたい・・・
彼は大きな世界に興味がなかったワケではないだろう。
でもそんなことよりも父親といることが幸せだったのだろう。
賢い子だから自分で自分のことをしっかりと分析してそのようにしていたのだろう。
あるいはもっとシンプルか?
本能で父親との世界を生きていたのか?
だとしたら本能の意味って何だ?
動物の本能は生きることが根本だ。
人間には理性が存在するから、時にその本能が薄れ、崩れ、悲しい現実に向かうこともある。
彼はいったい?
彼は幸せだったのかな?
俺なんかじゃあ、彼の気持ちは想像しきれない。
彼の気持ちが理解できたなら何か変わるモノがあるのかもしれないとだけは俺自身思う。
だから知りたい、彼に聞いてみたい。
「君は幸せだったの?」
季節のない街 (新潮文庫)/山本 周五郎

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