「あなた、イケメン?」

以前から興味はあったものの、
手を出すことのなかった作家山本周五郎の作品に初めて触れていると、突然聞こえてきた。
明らかにこちらに向かって声を発している。
が、僕は『イケメン』ではない。
どんなに少なく見積もってもそんな筈はない。
ちゃんと自覚している。
自己評価に反して世間にはそのように思ってくれる人も少なからずいるのだとしたら、
それは喜ばしいことではあるが、それの確認など出来るモノではない。

「もしもし、あなたに聞いているんですよ。あなた、イケメン?」

返事に困りフリーズしながら頭で考えていた数秒の間のうち、
僕の左足の太腿を優しく叩きながら彼女は言った。

「いえ、違いますよ。僕なんかよりカッコいい人はもっとたくさんいますよ。」

失礼のないよう本を閉じ、姿勢を整え座り直し彼女の方を向き僕は応えた。

「そうなの?じゃあ、ちゃんとお顔を見せてくれない?」

失礼があった。
彼女はそう捉えている感じではなかったが、失礼があった。
家以外のところで読書をする時は多くの場合、サングラスをかけたまま読む。
ストーリー次第では泣いてしまうからだ。
涙が流れるのを必死で堪え、目の中が潤んでいる状態を他人に見られたくはない。
それにそんなところに一瞬でも思考がいってしまうことが嫌なので、
基本的には外出先で読書することはしない。
周りを気にする事なくその話の世界にどっぷり浸かりながら読みたいからだ。
が、例外的な場所がある。
今日はその場所に来ている。

「すみません。こんなんですよ。」

サングラスをはずし、僕は彼女に素顔を見せた。

「う~ん、イケメン!!」

僕はどうしたらいいのかわからなくなった。
だいたい何故、彼女に素顔を見せるためにわざわざサングラスをはずさなければならないのか?
よくよく考えると・・・よくよく考えなくてもだ・・・意味不明な行動だ、僕にとっては。
彼女には意味がある。
僕の素顔が『イケメン』かどうか知るという意味が。

「孫がね、イケメン好きなの。孫っていってももうすぐ30歳なんだけどね。」

返答に困っている僕の様子など彼女、おばあちゃんにはまるで関係ないようで僕に話をし始めた。

「みっちゃんっていうんだけどね、みっちゃんはジャニーズが大好きなの。特にSMAPと嵐。あなた知ってる?SMAPとか嵐とか?」

「はい、知ってますよ。」

「みんなカッコいいわよね。みっちゃんが好きになるのもわかるわ。私だって好きになっちゃうから。」

みっちゃんの話をするおばあちゃんの目は僕を見るのではなく、
ずっと空を見上げるように軽く首をあげた状態だ。

「みっちゃんは誰のファンなんですか?」

僕はおばあちゃんとみっちゃんの話をするべきなのだと思った。

「一番は大野くん。嵐の大野くん。」

「そうですかあ。大野くん、ちょっとボーッとしてるところなんかもいいですよね。」

正直、大野くんがどんなんかはわからない。
もちろん、顔や名前は知っている。
でも、熱心にジャニーズの番組を見ることのない僕としては
漠然とした印象しかないのが実際のところだ。
でもこの場では、診察を待ち隣通しで座っている僕とおばあちゃんのこの空間では
嵐の大野くんの話、みっちゃんが大好きな大野くんの話をすることがベストなのだ、きっと。

「うん、そうなのよね。みっちゃんもそこがいいって言ってたわ。あなたもボーッとしてる方なの?」

「どうでしょうか?そんな風ではないと思いますが。」

神経質な僕は多分、ボーッとはしていない。
絶えず、あれこれと神経を張り巡らせている。
でも、そんな僕の実状をはっきりと言う事よりも、
この場では、おばあちゃんとのこの空間では、
何となくやんわりとした言葉で時間を過ごしていきたいと思う。

「あら、そうなの?でもさっき私の声は聞こえてなさそうな雰囲気でしたよ?」

「それは聞こえてましたよ。ただ僕は『イケメン』ではないので、どのように返答すればいいのか迷っていたんです。失礼しました。」

再び僕の方を見ながら質問してきたおばあちゃんの目をみながら、
僕は出来る限りの笑みを浮かべ、正直に応えた。

「あなた、大野くんに似てるって言われない?」

おばあちゃんは僕の返答に笑顔で応えた後、こう言った。

「え?はい、実は結構言われます。ジャニーズの人に似てるって言われるのはちょっと嬉しいですよね。でも、実際は全然似ていないと思いますよ。」

するとおばあちゃんは、

「そんなことないですよ。横から見たお顔が大野くんみたいだったので、イケメンかどうか聞いたのだから。事実、イケメンよ、あなたは。きっと、みっちゃんのタイプ。」

「ありがとうございます。じゃあ、みっちゃんに宜しくお伝え下さい。みっちゃん好みのイケメンを見たよって。」

おばあちゃんが微笑んでくれるならそれでいいと思い、調子のいいことを僕は言った。
おばあちゃんは笑ってくれた。
それでいいのだ。

「お母さん。」

一人の女性がおばあちゃんの下へと来た。
僕の母と同じぐらいの年齢だろう。

「今ね、イケメンの彼とみっちゃんと、大野くんの話をしてたの。」

女性は僕に会釈をした。
僕もそれを返す。

「みっちゃんにきれいなお花いっぱい持っていってあげた?」

おばあちゃんが女性、娘さんなのだろう。彼女に声をかけた。

「うん、持っていったよ。」

そのタイミングでおばあちゃんの予約番号がアナウンスされ、おばあちゃんは診察室へと向かった。
診察室に入る前、こちらを振り返り、

「楽しいお話ありがとう。」

と、僕に声をかけてくれた。

「なんかすみません。ありがとうございます。母に付き合ってもらったみたいで・・・」

彼女、みっちゃんのお母さんが僕に言った。

「いえいえ、こちらこそ。おばあちゃん、みっちゃんのことが大好きなんですね。」

おばあちゃんとの会話でとても穏やかな心境だった僕は、
いつもなら言わないであろう、一言を足していた。

「うん、そうなんです。たった一人の孫だったから・・・」

それは同時に彼女にとって、『たった一人の娘』であったことを指していた。
なんて声を発すればいいのかわからない僕に、
間をつくらせないようすぐに彼女、みっちゃんのお母さんは話始めた。

「気になさらないで下さい。母がみっちゃんの話を家族以外にしたのは多分今日が初めてだと思います。そのことが私は嬉しいです。大野くんって、嵐の大野くんのことですか?似てますね、家に帰ったらみっちゃんに報告します。お母さんとおばあちゃん、大野くん似のイケメンと話しましたって。」

お母さんは・・・お母さんの表情は本当に嬉しそうだった。
僕が何かをしたワケではない。
ただ会話をしただけのことだ。
でもその単なる『会話』によって、
僕もおばあちゃんもお母さんもみんな自然と優しい笑顔が出てきた。
おばあちゃん、お母さんから今日の出来事を聞くとき、みっちゃんは笑ってくれるだろうか?
きっと、笑ってくれるだろう。
もう既に笑ってくれてるかな?