前回の予告通り、今日は
『僕にとって強制力のある縛り』
のことを・・・
前回の記事の締め方を読んでわかった方は同じ世界を共有したってことだと思います。
まぁ、今日のブログタイトルを見れば同じ世界を共有してない方でも何の事かわかると思いますが・・・
村上春樹『1Q84』
読みました・・・・・
別に『ハルキスト』ではない(と、思う・・・どこからをそう呼ぶのかわかりませんが)ですが、
大好きな作家です。
僕の人生を刺激してくれる大作家です。
その大作家の新刊は
『僕にとって強制力のある縛り』
なのです・・・
ガキの頃はゲームのソフト(例えばドラクエとか)、
思春期には多くの大好きなミュージシャンの新譜、
そしてオッサンとなった今は村上春樹さんの新刊。
発売が決まった日からずっと待遠しく、何が何でも発売日に手に入れたいモノ。
で、その村上春樹さんの新刊『1Q84』を読み終えてまず思ったこと・・・
『で、続きはいつでるの?』
『マンマ』放置されっぱのことが多過ぎる。
本当の意味で面白いか面白くないか、いい本かそうでないかと
発言するのは物語を全て読み終えてからではないと出来ないと思う。
今日の感想の内容については悪魔で、BOOK2まで読んだ上でってことで・・・
さて、何から書いたらいいモノか???
批判めいたことから・・・
定期的なあらすじのまとめみたいなことが多過ぎると思う。
小学生ではあるまい、みんな集中して読んでいるのでそう何度も何度もまとめなくてもいいと思う。
もしかしたら意図的なのかもしれないけど。
幾度となく自分の現状を振り返り、確認しながら主人公が物語を歩んで行くというのは
村上作品の大きな特徴のひとつであるので。
その自己の確認、世界の現状をもっともっと冷静に注意深く、
神経を研ぎすまして判断してみようというメッセージなのかもしれない。
だとしてもあらすじのまとめが多過ぎると思う・・・
あるいはそれほどまで、若しくはそれ以上に冷静に注意深く、神経を研ぎすまして
自己の確認、世界の現状を判断してみろとのことなのか・・・
次に膨大なまでの比喩。
ただただ圧巻・・・そう感じて終わってもいいことなのかもしれない。
素晴らしい表現のオンパレード!!
これだけの比喩をこれだけのキャリアを積み重ねてきた人から紡ぎだされていることに
本当にただただ圧巻・・・
ただ思う事は、この物語に意図的ともとれる程の比喩を多く含んでいることの理由が
イマイチよくわからない。
そうあることの必然性が見えてこない・・・
『必然性』も村上作品の醍醐味だと思うのだが・・・
僕がアホで読み取れてないだけのことなのだろうか?
もうひとつ。
作られ過ぎている・・・
時代によってそのジャンル、サウンドは様々であれ、
ある決まったリズム、ある決まった音階を使い、
ヒット曲を一時的に量産するレコード会社のごとく・・・
この『1Q84』以前までの村上作品はそのベクトルこそ多く存在するものの、
村上春樹さんにしか出来ない決定的な、尚かつ必然性を持ったストーリー展開に胸が踊る。
が、今回のこの『1Q84』に限っては、
村上春樹さんにしか出来ない決定的な、尚かつ必然性を持ったストーリー展開だとは思えない。
ある程度、誰でも予測可能な方向に物語が進んで行くような舞台設定がされている。
作られ過ぎている・・・
あるいは、そうあるように書いた小説なのかもしれない。
ある程度、誰でも予測可能な方向に物語(自分、世界、時間、空間)は
進んで行くのだと言わんばかりに・・・
以上、批判めいたことを挙げてみた・・・
でも、結局それらは村上春樹さんの意図したこととも思えてならないのも事実。
『村上春樹システム』
もちろん過去の作品も『1Q84』も個人の『コア』な部分を刺激するのに変わりはない。
ただあきらかに過去の作品と『1Q84』とでは刺激する『コア』な部分が変わっている。
人の『コア』となっているモノは何もひとつとは限らないと思うし・・・
人にとって大切な意思、意識、感覚、感情というモノは数では表せない・・・
と、いう大前提ありきでの僕の感想ですが・・・
過去の作品のそれらは、
『自己の感覚』
物凄く多義に渡る『自己の感覚』を村上春樹さんは世界中に発進してきたと思います。
純粋に自己啓発させるためのヒントとなるモノだったり、
それによって自らを破滅的な方向へと向かわせるモノだったり・・・
いずれにせよ、それらは己の興味、好奇心を激しく、そして時にはじわりじわりと揺さぶり、
ある一定の行動へと導くモノであったと思います。
だけど『1Q84』のそれは、
『自己の感情』
しかもそれに気付くことではなく、元々具わっていたモノとして描かれているように思います。
育み損ねた、あるいは育み忘れていた『自己の感情』。
極端に言えばそれは『自己』のみでなく、『全ての人々』をさしているとも感じました。
ちょいとニュアンスが違うかもしれませんが、
それはまるで、『性善説』を唱えているかのごとく・・・・・
物事には道理では推し量れないことが道理で推し量れることと同じだけ存在すると思います。
道理とはシステムでしかないことですからね。
『感情』はどうでしょう?
『嬉しい事があれば喜ぶ。悲しい事があれば泣く。』
表面的には違って見えても、心の中は皆同じではないでしょうか?
『説明しなくてはそれがわからないというのは、どれだけ説明してもそれはわからないということ』
作中に出て来るセリフ。
この小説の中で僕が最も共感出来るセリフの中のひとつです。
単純には至極皮肉っている言葉だと思います。
しかし、そこから読み取るべき本当の言葉の意味は、
『説明などしなくてもそれは誰もがわかること』
ではないかと僕は思っています。
それこそが世界平和に繋がる・・・・・
な~んて、安っちぃ考え、村上春樹さんが想ったかどうかはわかりませんが、
実のところ結局はそういうことなのではないかと、僕は想ったりします。
過去の作品達のようにどこか別の次元に自分が入り込んで物語を味わっているというような感覚は
BOOK2まで読む限りでは正直なところありません。
ですが、青豆、天吾の中に具わっているピュアな感情には今までにない興味を覚えます。
愛する人がいることの幸せ・・・・・
言葉にするとどうしても何か安っぽくなってしまうけど、事実そうなんだと思います。
世界中でたくさん読まれる作家であることを
ご本人が心底理解し、納得をし、執筆された作品なのかな?
エルサレム賞を受賞された時のスピーチからもそれが窺える気もするし・・・
これから僕らが否応なく向かって行くこととなる
世界の未来に掲げる新たなバイブルなのかもしれない・・・『1Q84』は・・・
『僕にとって強制力のある縛り』
のことを・・・
前回の記事の締め方を読んでわかった方は同じ世界を共有したってことだと思います。
まぁ、今日のブログタイトルを見れば同じ世界を共有してない方でも何の事かわかると思いますが・・・
村上春樹『1Q84』
読みました・・・・・
別に『ハルキスト』ではない(と、思う・・・どこからをそう呼ぶのかわかりませんが)ですが、
大好きな作家です。
僕の人生を刺激してくれる大作家です。
その大作家の新刊は
『僕にとって強制力のある縛り』
なのです・・・
ガキの頃はゲームのソフト(例えばドラクエとか)、
思春期には多くの大好きなミュージシャンの新譜、
そしてオッサンとなった今は村上春樹さんの新刊。
発売が決まった日からずっと待遠しく、何が何でも発売日に手に入れたいモノ。
で、その村上春樹さんの新刊『1Q84』を読み終えてまず思ったこと・・・
『で、続きはいつでるの?』
『マンマ』放置されっぱのことが多過ぎる。
本当の意味で面白いか面白くないか、いい本かそうでないかと
発言するのは物語を全て読み終えてからではないと出来ないと思う。
今日の感想の内容については悪魔で、BOOK2まで読んだ上でってことで・・・
さて、何から書いたらいいモノか???
批判めいたことから・・・
定期的なあらすじのまとめみたいなことが多過ぎると思う。
小学生ではあるまい、みんな集中して読んでいるのでそう何度も何度もまとめなくてもいいと思う。
もしかしたら意図的なのかもしれないけど。
幾度となく自分の現状を振り返り、確認しながら主人公が物語を歩んで行くというのは
村上作品の大きな特徴のひとつであるので。
その自己の確認、世界の現状をもっともっと冷静に注意深く、
神経を研ぎすまして判断してみようというメッセージなのかもしれない。
だとしてもあらすじのまとめが多過ぎると思う・・・
あるいはそれほどまで、若しくはそれ以上に冷静に注意深く、神経を研ぎすまして
自己の確認、世界の現状を判断してみろとのことなのか・・・
次に膨大なまでの比喩。
ただただ圧巻・・・そう感じて終わってもいいことなのかもしれない。
素晴らしい表現のオンパレード!!
これだけの比喩をこれだけのキャリアを積み重ねてきた人から紡ぎだされていることに
本当にただただ圧巻・・・
ただ思う事は、この物語に意図的ともとれる程の比喩を多く含んでいることの理由が
イマイチよくわからない。
そうあることの必然性が見えてこない・・・
『必然性』も村上作品の醍醐味だと思うのだが・・・
僕がアホで読み取れてないだけのことなのだろうか?
もうひとつ。
作られ過ぎている・・・
時代によってそのジャンル、サウンドは様々であれ、
ある決まったリズム、ある決まった音階を使い、
ヒット曲を一時的に量産するレコード会社のごとく・・・
この『1Q84』以前までの村上作品はそのベクトルこそ多く存在するものの、
村上春樹さんにしか出来ない決定的な、尚かつ必然性を持ったストーリー展開に胸が踊る。
が、今回のこの『1Q84』に限っては、
村上春樹さんにしか出来ない決定的な、尚かつ必然性を持ったストーリー展開だとは思えない。
ある程度、誰でも予測可能な方向に物語が進んで行くような舞台設定がされている。
作られ過ぎている・・・
あるいは、そうあるように書いた小説なのかもしれない。
ある程度、誰でも予測可能な方向に物語(自分、世界、時間、空間)は
進んで行くのだと言わんばかりに・・・
以上、批判めいたことを挙げてみた・・・
でも、結局それらは村上春樹さんの意図したこととも思えてならないのも事実。
『村上春樹システム』
もちろん過去の作品も『1Q84』も個人の『コア』な部分を刺激するのに変わりはない。
ただあきらかに過去の作品と『1Q84』とでは刺激する『コア』な部分が変わっている。
人の『コア』となっているモノは何もひとつとは限らないと思うし・・・
人にとって大切な意思、意識、感覚、感情というモノは数では表せない・・・
と、いう大前提ありきでの僕の感想ですが・・・
過去の作品のそれらは、
『自己の感覚』
物凄く多義に渡る『自己の感覚』を村上春樹さんは世界中に発進してきたと思います。
純粋に自己啓発させるためのヒントとなるモノだったり、
それによって自らを破滅的な方向へと向かわせるモノだったり・・・
いずれにせよ、それらは己の興味、好奇心を激しく、そして時にはじわりじわりと揺さぶり、
ある一定の行動へと導くモノであったと思います。
だけど『1Q84』のそれは、
『自己の感情』
しかもそれに気付くことではなく、元々具わっていたモノとして描かれているように思います。
育み損ねた、あるいは育み忘れていた『自己の感情』。
極端に言えばそれは『自己』のみでなく、『全ての人々』をさしているとも感じました。
ちょいとニュアンスが違うかもしれませんが、
それはまるで、『性善説』を唱えているかのごとく・・・・・
物事には道理では推し量れないことが道理で推し量れることと同じだけ存在すると思います。
道理とはシステムでしかないことですからね。
『感情』はどうでしょう?
『嬉しい事があれば喜ぶ。悲しい事があれば泣く。』
表面的には違って見えても、心の中は皆同じではないでしょうか?
『説明しなくてはそれがわからないというのは、どれだけ説明してもそれはわからないということ』
作中に出て来るセリフ。
この小説の中で僕が最も共感出来るセリフの中のひとつです。
単純には至極皮肉っている言葉だと思います。
しかし、そこから読み取るべき本当の言葉の意味は、
『説明などしなくてもそれは誰もがわかること』
ではないかと僕は思っています。
それこそが世界平和に繋がる・・・・・
な~んて、安っちぃ考え、村上春樹さんが想ったかどうかはわかりませんが、
実のところ結局はそういうことなのではないかと、僕は想ったりします。
過去の作品達のようにどこか別の次元に自分が入り込んで物語を味わっているというような感覚は
BOOK2まで読む限りでは正直なところありません。
ですが、青豆、天吾の中に具わっているピュアな感情には今までにない興味を覚えます。
愛する人がいることの幸せ・・・・・
言葉にするとどうしても何か安っぽくなってしまうけど、事実そうなんだと思います。
世界中でたくさん読まれる作家であることを
ご本人が心底理解し、納得をし、執筆された作品なのかな?
エルサレム賞を受賞された時のスピーチからもそれが窺える気もするし・・・
これから僕らが否応なく向かって行くこととなる
世界の未来に掲げる新たなバイブルなのかもしれない・・・『1Q84』は・・・