誰もビッグバンを起こすヤツは現れない。
そりゃあそうだ。
読者の気を引くことに重きを置いてモノを書くようなヤツらだ。
そこに情熱などない・・・時間と共に魂はなくなった・・・のだろう。
ようやく最後の記者だ。
「えー、初めまして。フリーでカメラマンをやっています荒木です。絵のことは全くわからないのですが、ある雑誌でこの作品『ある雨の日のサクラ』を見てどうしても相沢さんに聞いてみたいことがありまして今日は足を運んだ次第です。質問よろしいでしょうか?」
「どうぞ。」
「この絵は誰の恋心を表したモノなのでしょうか?私が初めてカメラで心を写した時と同じ感じを受けたのですが・・・」
会見場がざわついた。
絵の知識もない素人が、ましてジャンルの違うカメラで写した時と同じ感じと発言した
カメラマンに対して、つまみ出せという声もあれば、面白い視点だと言って興味を持つ記者もいた。
このカメラマン、荒木の発言によって何人かの記者にビッグバンが起きたのは明らかだった。
さっきまで全員全く同じ体勢でメモ書きをしていたのが、
何人かの記者は荒木の方に体を向け、真剣にその眼差しを見つめている。
この絵の作者である僕にではなく荒木の目をだ。
ビッグバンは自分で起こすモノ、自分でしか起こせないモノだと思い続けてきたが、
どうやらそうでもないらしい。
外部からの突っつきがあって起こるビッグバンもあるみたいだ。
『無』なんて概念、よくよく考えてみなくてもそもそも意味がわからないことだ。
『無』が爆発を起こして何かが生まれた・・・なんのこっちゃ・・・
言うなれば『無』という存在があってそれが内部から爆発するのか、
外部から突っつかれることによって爆発するのか、そういったことではないのだろうか?
存在が存在しないなんてことはあるワケがないのだ。
「質問返しをするようで大変恐縮ですが、荒木さんが撮ったのは誰の恋心だったのですか?」
純粋に聞いてみたくなったから逆に聞いてみた。
「え、あぁ、そうこられますか?・・・そうですよね、恋心なんて語りたくないですよね。ましてや公の場で・・・そもそも私が勝手に思い込んでるだけであって、私のソレと相沢さんのソレが同じであるとは限らないですし・・・失礼しました・・・」
再び会見場がざわついた。
早々と自分を引っ込めるぐらいなら最初から出て来るなと、いうモノや、
簡単に自分を引っ込めるんじゃない、せっかくここまで来たんだろ?と、いうモノ、
僕・・・相沢はなんて返答するんだと、いうモノ・・・
「いえ、こちらこそ大変失礼致しました。荒木さんが純粋に僕に聞いてみたいと思い、わざわざここに足を運ばれたのと同じように、僕も純粋に荒木さんに聞いてみたいと思い、質問させて頂きました。・・・荒木さんがおっしゃるように、僕のソレと荒木さんのソレが同じかどうかはわかりません。ただ、それは全てが同じではないだけであって、少なくともひとつの視点では同じモノなのではないかと思います。全てが同じなどというモノはこの世には存在しない、と、僕は思っています。まして、人の心なんて・・・生意気言うようですが、アートの作者が作品を創り出す想いはみんな同じなのではないかと思っています。・・・自分の想い、ありったけの愛情を作品に投影するのだと思っています。その作品が幸せの象徴であろうと悲劇の象徴であろうと・・・」
さっきまでの困惑は何だったのだろうと思うぐらい、
気持ちが爽やかに、穏やかに、そして嬉しく、会見を終えることができた。
『恋心』かぁ・・・
何かいい響きだなぁ・・・
そんなのって中高生の特権みたいなモノだと思っていたけどそうでもないのかもしれない。
雨が桜に降り注ぐ・・・
お父さんがさくらを包み込む・・・
まだ一度も顔を会わせたことのない2人が一年に何回かだけ、
優しく触れ合い想いを確かめ、いつか会える日を願う・・・
・・・『恋心』・・・
僕はさくらのことが好きだった・・・
さくらは僕のことを好きだったのかな・・・
『大切な人を見ている一番美しい瞬間を絵にすると大切な人に約束してもらえたから』
と、アキちゃんは言った。
僕の見方は少し違う。
『大切な人を見ている一番美しい瞬間を大切な人と繋げてくれた人に見てもらえたから』
お父さんと繋がっている瞬間、その最も幸せで美しい瞬間を
誰かに見てもらいたかったのではないだろうか。
それは必ずしも僕でなければいけなかったとは思わない。
たまたま僕の描く絵がさくらの中でお父さんと繋がったから、
その僕に見てもらいたいと思った、それだけのことではないだろうか。
『ある雨の日のサクラ』・・・僕は未だにあの日の景色より美しい瞬間に触れたことがない。
ひたすら小説というフィクションの中で想像力を養ってるだけだ。
そろそろ僕も新たなるビッグバンを起こさなければならないのかもしれない。
『恋心』・・・多分、これだろう・・・
そりゃあそうだ。
読者の気を引くことに重きを置いてモノを書くようなヤツらだ。
そこに情熱などない・・・時間と共に魂はなくなった・・・のだろう。
ようやく最後の記者だ。
「えー、初めまして。フリーでカメラマンをやっています荒木です。絵のことは全くわからないのですが、ある雑誌でこの作品『ある雨の日のサクラ』を見てどうしても相沢さんに聞いてみたいことがありまして今日は足を運んだ次第です。質問よろしいでしょうか?」
「どうぞ。」
「この絵は誰の恋心を表したモノなのでしょうか?私が初めてカメラで心を写した時と同じ感じを受けたのですが・・・」
会見場がざわついた。
絵の知識もない素人が、ましてジャンルの違うカメラで写した時と同じ感じと発言した
カメラマンに対して、つまみ出せという声もあれば、面白い視点だと言って興味を持つ記者もいた。
このカメラマン、荒木の発言によって何人かの記者にビッグバンが起きたのは明らかだった。
さっきまで全員全く同じ体勢でメモ書きをしていたのが、
何人かの記者は荒木の方に体を向け、真剣にその眼差しを見つめている。
この絵の作者である僕にではなく荒木の目をだ。
ビッグバンは自分で起こすモノ、自分でしか起こせないモノだと思い続けてきたが、
どうやらそうでもないらしい。
外部からの突っつきがあって起こるビッグバンもあるみたいだ。
『無』なんて概念、よくよく考えてみなくてもそもそも意味がわからないことだ。
『無』が爆発を起こして何かが生まれた・・・なんのこっちゃ・・・
言うなれば『無』という存在があってそれが内部から爆発するのか、
外部から突っつかれることによって爆発するのか、そういったことではないのだろうか?
存在が存在しないなんてことはあるワケがないのだ。
「質問返しをするようで大変恐縮ですが、荒木さんが撮ったのは誰の恋心だったのですか?」
純粋に聞いてみたくなったから逆に聞いてみた。
「え、あぁ、そうこられますか?・・・そうですよね、恋心なんて語りたくないですよね。ましてや公の場で・・・そもそも私が勝手に思い込んでるだけであって、私のソレと相沢さんのソレが同じであるとは限らないですし・・・失礼しました・・・」
再び会見場がざわついた。
早々と自分を引っ込めるぐらいなら最初から出て来るなと、いうモノや、
簡単に自分を引っ込めるんじゃない、せっかくここまで来たんだろ?と、いうモノ、
僕・・・相沢はなんて返答するんだと、いうモノ・・・
「いえ、こちらこそ大変失礼致しました。荒木さんが純粋に僕に聞いてみたいと思い、わざわざここに足を運ばれたのと同じように、僕も純粋に荒木さんに聞いてみたいと思い、質問させて頂きました。・・・荒木さんがおっしゃるように、僕のソレと荒木さんのソレが同じかどうかはわかりません。ただ、それは全てが同じではないだけであって、少なくともひとつの視点では同じモノなのではないかと思います。全てが同じなどというモノはこの世には存在しない、と、僕は思っています。まして、人の心なんて・・・生意気言うようですが、アートの作者が作品を創り出す想いはみんな同じなのではないかと思っています。・・・自分の想い、ありったけの愛情を作品に投影するのだと思っています。その作品が幸せの象徴であろうと悲劇の象徴であろうと・・・」
さっきまでの困惑は何だったのだろうと思うぐらい、
気持ちが爽やかに、穏やかに、そして嬉しく、会見を終えることができた。
『恋心』かぁ・・・
何かいい響きだなぁ・・・
そんなのって中高生の特権みたいなモノだと思っていたけどそうでもないのかもしれない。
雨が桜に降り注ぐ・・・
お父さんがさくらを包み込む・・・
まだ一度も顔を会わせたことのない2人が一年に何回かだけ、
優しく触れ合い想いを確かめ、いつか会える日を願う・・・
・・・『恋心』・・・
僕はさくらのことが好きだった・・・
さくらは僕のことを好きだったのかな・・・
『大切な人を見ている一番美しい瞬間を絵にすると大切な人に約束してもらえたから』
と、アキちゃんは言った。
僕の見方は少し違う。
『大切な人を見ている一番美しい瞬間を大切な人と繋げてくれた人に見てもらえたから』
お父さんと繋がっている瞬間、その最も幸せで美しい瞬間を
誰かに見てもらいたかったのではないだろうか。
それは必ずしも僕でなければいけなかったとは思わない。
たまたま僕の描く絵がさくらの中でお父さんと繋がったから、
その僕に見てもらいたいと思った、それだけのことではないだろうか。
『ある雨の日のサクラ』・・・僕は未だにあの日の景色より美しい瞬間に触れたことがない。
ひたすら小説というフィクションの中で想像力を養ってるだけだ。
そろそろ僕も新たなるビッグバンを起こさなければならないのかもしれない。
『恋心』・・・多分、これだろう・・・