本当なら留年決定だったのだが、
担任が奔走してくれたおかげで何とか進級させてもらえることになった。
ただし進級条件として春休みにも登校し、補習の授業などを受けるようにとのこと。

春休み中の登校も半分を過ぎた3月の終わり。
職員室で担任と何か話しをしている結城さんを見た。
その姿は制服ではなく私服。
髪型も変わっている。
そんなにじっと見ていたつもりはなかったが実際のところはわからない。
担任との会話を終え、向きを変えた瞬間に僕に気付いた。
わかりやすくニコッとしてくれた後、結城さんは職員室を出て行った。

補習を終え、ダラダラと校門へと続く坂道を登る。
つまんない一日を過ごした後に登るこの坂道の意味が入学当初からわからない。
学校を建設する際にどんな設計プランを起てていたんだ?
疲れるだけの坂道を学校の出入り口のメインストリートにするなんて・・・
まだあと2年もこれを繰り返さなければいけないのかと思うと、
いっそ中退したい気持ちになってしまう。
ようやく坂道を上り終え校門を出ると、結城さんがいた。

「もう補習終わった?」

「うん、終わったよ。」

ビックリした。
挨拶や必要がある時ぐらいしか会話をしたことのなかった結城さんが僕に声をかけてきたことに。

「いっしょに帰らない?」

「えっ、うん、いいよ。」

学校から駅までは歩いて15分。
電車も同じ方面だってことは知っている。
僕が降りる駅の2つ前の駅で結城さんは降りるってことも知っている。
登下校する時は誰かしら一緒にいるものだ。
ただ、今は・・・今日は春休み。
駅までの帰り道を一緒に行くようなツレはいない。

「進級決まってよかったね。」

「あれ?何で知ってるの?」

「さっき先生から聞いたの。相沢くんのためにどれだけ頭を下げたことかって言ってたよ。」

「別に頼んでもないのにね。」

考えてみたら、結城さんの笑い声を聞いたのは初めてかもしれない。
教室内で誰かと話し、笑っている姿を遠くで見た記憶はあるが、
その笑い声はよく考えてみたら聞いたことがなかったと思う。

「あ、雨・・・」

結城さんの方が先に雨を感じた。
もしかしたら僕にも雨粒は当たっていたのかもしれない。
が、僕の意識は結城さんの笑い声・・・笑っているその姿に向かっていたので
気付かなかっただけなのかもしれない。

「ビニガサいるね。」

学校と駅のちょうど真ん中辺りにコンビニがある。
僕らは小走りでそのコンビニへと向かった。

「相沢くんは買わないの?」

コンビニの入り口付近で結城さんがレジを済ませるのを待っていた僕。

「ああ、駅までは7,8分だし、電車降りたら家すぐなんだよね。土砂降りじゃないから別にいいかなって。」

外へ出ると、さっきよりも雨が強くなっている。

「やっぱり買ってくるわ。ちょっと強くなってるよね。」

ドアを開けようと振り返った瞬間、学ランの裾を引っ張られた。

「・・・いいよ、駅まで一緒に傘使おう。」

「え、でも・・・」

じっと黙ってうつむき気味の結城さんの気持ちが少しわかった・・・
勘違いかもしれないけど、それならそれでいい・・・
僕は結城さんが買ったビニガサを開き、2人で駅へと再び歩き出した。
傘の意味はあまりなかったのかもしれない。
結城さんが濡れないようにと思い、傘を差していた僕の体右半分はビチョビチョになっていた。
女の子に思いがけず瞬間的に気持ちを出させてしまうようなことをさせてしまった僕はダメだ。
最初から僕も傘を買っていればこうはならなかったのかもしれない。
横断歩道を渡って右に100メートル程行けば駅というところに来るまで、
僕らは会話がなくなってしまった。

「相沢くん・・・」

横断歩道の前で突然止まり結城さんは僕に話しかけてきた。

「うん?」

「桜・・・」

次の言葉が出てこない結城さんの言おうとしていることがわかったから、
僕は結城さんを誘った。

「一駅分の距離があるけど、よかったら花見しながら帰らない?」

「うん。」

小さく声を出し軽く頷いた結城さん。
横断歩道を渡り、駅のある右へは向かわずに僕らは真っすぐ進んだ。
踏切を渡り、真っすぐ真っすぐ・・・
右手に見える景色はずっと田んぼ。
そんな長い坂道を登っていくと住宅街へと続いていく。
田んぼとその住宅街の入り口となるところに線路と並行して、
一駅分の距離のある桜並木がある。
電車の中から観るその桜並木は圧巻。
高校に入学してすぐの去年、電車から見えるその景色にはとても癒された。
今年は桜の開花がとても早く一昨日には満開になっていた。
しかし、昨日の強い雨のせいで大分花びらが散ってしまっていたのを
今朝の登校時に電車から見た。
桜並木の入り口に来るまで結城さんは一言も言葉を発しなかった。
それは僕も同じだ。

「うわー!!やっぱりキレイな通りだね。」

やっと結城さんの笑顔を見ることが出来た。

「行きに電車から観た時は昨日の大雨で大分散っちゃってるなあって思ったけど、目の前まで来るとやっぱり表情って違うね。」

「同感。全く同じことを思ってた。」

「去年、入学してすぐの登下校の時に電車からこの桜並木を観て、来年は絶対に歩くぞって決めてたんだよね。」

「やっぱり桜好き?」

「うーん・・・本当はあんまり・・・でも今日みたいな雨の日の桜は好き。」

「どうして?」

「あたしね、10月生まれなの。なのに名前は『さくら』。おかしいでしょ?」

「うーん、別におかしくないと思うけど。『結城さくら』、めちゃくちゃ綺麗な名前だと思うよ。」

「ありがとう。お父さんがね、女の子が生まれたら名前は絶対に『さくら』だって言ってたんだって。」

「言ってたって?」

「あっ、お父さんもういないの。あたしがまだお母さんのお腹の中にいる時に死んじゃって。」

「え、あぁ・・・ごめん・・・」

「ううん、全然大丈夫。こっちこそごめんね。なんか気を使わせちゃったみたいで・・・」

「いやいや・・・雨の日の桜が好きなのはどうしてなの?」

「お父さんが死んだ日が雨だったんだって。・・・その前の日、桜が満開で・・・」

「そっかぁ、雨の日の桜はお父さんと結城さん、『さくら』を繋いでくれるんだね。」

「・・・勝手にそう思い込んでるだけだけどね。」

「ヤバいなぁ・・・」

「どうしたの?」

「絶対に今見られてるよね?何だ!!この男はー!!って。」

「やっぱり、相沢くんって素敵だね。」

「えっ?どこが?素敵な部分が自分にあるならそこは知っておきたいとこだからねぇ。バンバン、アピールしてかないとね!!」

「そういうところが素敵なんだよ。って、その素敵さを知ったのは今初めてだけどね。」

「えっ!!じゃあまだ『素敵さアピール』出来るモノがあるってこと?」

「うん、絵。」

「絵?」

「うん、絵。いつも授業中に絵描いてるでしょ?」

「描いてるけど、あれ?席近くになったことってあったっけ?」

「ないよ。でも机に描いてるから相沢くんの席の近くを通る時には見てたから。」

「うーん・・・どうやって絵で『素敵さアピール』をしたらいいんだ?」

「あっ!!何かさっきから邪念が多くなってる。そんなんじゃダメかも!!」

「えーっ!!」

桜の下で・・・雨の日の桜の下で・・・
お父さんの前で思いっきり笑っている結城さん・・・『さくら』はとてもキレイで・・・

桜並木をどんな風にどんな会話をしながら歩いたのか僕には思い出せない。
ただ憶えているのは傘を差さなくてもいいぐらい雨は小雨となっていたことだけ。

「もう終わっちゃうね・・・」

桜並木の終わりが近づいてきた時、結城さんが言ったところからははっきりと憶えている。

「そうだね。」

「相沢くんの名前のこと聞いてもいい?」

「いいけど、何?」

「相沢くんの下の名前って『勇気』だよね?」

「そうだよ。」

「あたしの名前を呼んだことがないのは呼びにくいから?」

「え・・・ううん・・・どうだろう?」

「『勇気くん』が『結城さん』って呼ぶのは何か違和感あるもんね。」

それはそれで多分図星。
だけど本当の理由は別にあることが今日はっきりとわかった。

「・・・さっきさぁ、自分の名前があまり好きじゃないって言ってたよね?」

「うん。」

「一緒。『勇気』って名前なのに勇気がない・・・チキンなんだよねぇ・・・」

「そんな風には見えないよ。」

「周りにバレないようにしてるだけ。16歳のチキンヤローってのはマズいからねぇ・・・」

「どうして?」

「実際はどうかは別として、格好つけなきゃいけない年頃とでもいうのかなぁ・・・上手くいけばその延長線上で本当に格好良くなれるのかもしれないし・・・って、こんなことを女の子に話してる時点でもうダメなんだよ、格好つけなきゃいけない16歳のヤローとしては・・・」

「ふーん、男って大変だね。格好良さなんて色々あると思うけどなぁ。」

「男がそういう言い方すると単なるイイワケになっちゃうんだよ。」

「じゃあ、相沢くん・・・勇気くんは格好つけてるの?」

「つもりではいるよ。周りにどんな風に映ってるかはわからないけどね。」

「絵を描いてる時も格好つけてるの?」

「ああ、それは全然別次元!!描きたいって思うその一心で描いてるだけのことだから。」

「・・・そういうのがカッコいいことなんじゃないの?」

「え?・・・どうなんだろう?そんなこと考えたこともないから・・・」

「・・・今日の景色も描きたいって思う日が来ると思う?」

「・・・わからない・・・どの景色も素晴らし過ぎて描けない気がする・・・」

「相沢く・・・勇気くん!!あたしねぇ、ずーっと好きだった・・・勇気くんの描く絵が・・・どの絵もいつも優しい・・・鉛筆で描いてるだけなのに物凄くたくさんのカラーがそこには存在してて・・・その色はとても優しくて・・・見たことのないお父さんの色を勝手に投影してた・・・勇気くんの描く絵が好き・・・そのうちに勇気くん自身が気になり始めて・・・だから、今日一緒にこの桜並木を歩きたかった・・・」

「・・・ありがとう・・・でも、そんな素敵な絵じゃないよ・・・」

こんな時、何を言えばいいのか全く見当もつかない。
ただ時間だけが流れていく・・・
結城さん・・・『さくら』はまたじっと黙ってうつむいている・・・

「さくらー!!あそこの一番大きな桜の木の下に行ってー!!」

「えっ、うん・・・」

その時また雨が・・・お父さんが来た。

「桜を見つめて、その先にある雨・・・お父さんも!!」

雨を憂い桜を見上げ、その先にあるモノまで全てを見つめた『さくら』は
僕の中で1枚の完璧な作品となった。

「さくらー!!さっきはどの景色も素晴らし過ぎて描けないって言ったけど、描くよ。いつになるかはわからないけど、描くよ。今の景色は絶対に忘れないから。忘れようがないから。大切な人が大切なモノを見つめる瞬間、それが一番美しい絵だと思う。だから、いつになるかはわからないけど、描くよ。今の景色を・・・」

『さくら』は泣いていた。
でも、何の心配もいらない。
ずっとお父さんが撫でてくれていたのだから。