昨日のブログにも書きましたが、今の僕にとっては娘のドリーが

     『希望の光』     です。

しかも、

     『完璧なる希望の光』     です。

自分の子供がかわいいという月並みな見解です。

昔から小さい子は好きだという認識はありましたが、いざ自分に子供ができると
その認識は全然大したことのないものだということに気づきました。



空を見上げるのがとても大好きでした。
別にセンチなワケでもなんでもないですよ。

そこにはたくさんの光が存在してました。
例えば・・・、今日はヤメときます。
書くのがちょっと面倒くさいので・・・。



ドリーの存在は目の前に確実にある。(幸いにも健康な上にまだ2歳なので一緒にいてくれますからね。)
でも、その存在も少しずつですが確実に変わってきているんですよね。

暗い部屋の中、1年前は泣き出してしまったドリーが
昨夜は2本のローソクを一生懸命に何度も何度も自分で吹いて
見事に吹き消してくれました。

ローソクの明かりは・・・
残念ながら格好良く空に例えることは出来ませんが、
電気を消した暗い部屋を照らすこれまでとこれからの光である
ローソクの炎を吹き消したドリーを見て、
なぜだかこみ上げて来るモノがありました。



昨夜のようなことがこの2年間、たくさん我が家に訪れました。
妻にも感謝です。


感覚的にも身体的にも実感してみて始めて体中を廻るこれこそが今の自分にとっての

     『希望の光』     なんだと思うんですよね。