どこかへ行きたいこと
たまらなくどこかへ行きたい。
今そこにあるもの、日常、だけでバランスをとるのはなかなか大変だ。
人間は活動をして一生を過ごす。
本能的なことを除けば、活動的にならざるをえない。
そうしないと退屈して死んでしまうだろう。
僕は多分、欲深い。
だからいつも満足できない。
どん欲な自分が自分自身を苦しめているのかもしれない。
昨日小さい鳥が、僕の畑の小松菜を食べていた。
お昼ごはんを食べ終わって、紅茶のみつつ日なたぼっこしているとそいつはやってきた。
鼻がむずむずして、くしゃみを2回したらそいつは飛んでいった。
今日、まったく同じ時間に同じ鳥だろうか、また小松菜を食べにやってきた。
僕も昨日と同じ状況でながめていた。
昨日と違うのは同じ種類の鳥がやってきて、2匹で近くの栗の木に飛び乗ったことぐらい。
こいつらはとてもシンプルにいきてるんだなあ、と思うとたまらなくどこか遠くへ行きたくなる。
新しい国、そこに行きたいな。
そうしたら、自分はただの自分以外の何者でもなくなって、
とりあえず、食べること寝ることが最優先のシンプルな状態になれる。
目に飛び込んでくるのは新しいものばかりで脳はドーパミンだしまくり。
目だけじゃない、
匂い・温度・喧騒・その国のエネルギー、
濃密な外界と、ただいる自分。
日常であいまいになっているまわりとの境界線がよりはっきりとなる。
ただ、わたし・ぼく、になって、新しいアプローチでその国へ溶け込んでいく快感。
インフルエンザで体が弱って、体の次は心が弱って、
次は自分を解体するしかない気がする。
自己解体としての旅。
で再構築したらすごく気持ちいいことを僕は知っている。
世界のはじっこのような島の誰もいないビーチ、ヤドカリが集会をひらいているそばで、
川のように海の水が流れていた。
沈もうとしている夕日があって、そこでは日常だったけど、
そういうところが多分いろんなところにあると思うと、なんだかすごい。