九月四日
べとべとする空気の中、私は焦っていた。冷房を入れ、適度に狭い部屋をバタバタと動き回る。
駅までの道のり、ヒールを大きく運ぶ。ヒールとコンクリートがぶつかる音に、申し訳ない気持ちになる。ヘアは起きたままだが、毛先のカールはいつも通り保たれていた。こういう時は、パーマをあてていてよかったと、つくづく感じる。
階段を駆け降りると、いつもの電車が到着するところだった。
大きく息をはき、呼吸を整える。ハンカチを額に押し付け、もう一度ふっと大きな呼吸をした。
電車に乗り込み、閉まったドアに目を遣ると、涼しい顔をしたなつきが肩で息をしていた。
なつきはいつもより青白く、頬はいつもよりピンク色をしていた。黒地の縁に白の薔薇が咲くハンカチを、ぐぐっと額に横切らせた。そのハンカチはなつきの容姿によく似合うが、なつきらしくないと思った。
なつきは、手に持った紙袋の中をがさがさと小さく音を立て整理する。慌ててつっこんできたのだろう。中身を確認しているようだった。なつきは上品な雰囲気とどこかミステリアスなものを漂わせるが、その行動はなかなか男っぽい。
私はまだ少し早い呼吸を気にしながらも、携帯電話を引っ張り出した。10分の道のりの疲労は大きく、とても本を読むような気分ではなかった。かといって、ただ足を踏ん張りひたすら堪えるのでは、上がった息を遠ざけられない。溜め込んだ返信を作ろうと、メールを読み返す。
ふと、自分がいかに人との会話に乏しい日々を送っているかに気付く。仕事柄一日中人と接してはいる。けれども、たわいもない会話等は、鮮明な記憶の中にはなかった。私はあっさりとした性格のおかげか、多くの知人を得た。しかしそれと引き換えにか、奥に潜む泥のようなものを吐き出せる場所を失った。正確に言えば、そういう場所を自ら、外に押し出してきた。
差し延べてくれる手があることに気付きながらも、その手を引くことは、なかった。
わずかに早い呼吸のまま、ホームに押し出される。振り返ると、閉まるドアのすぐ向こうに立つなつきが見えた。その姿は際立ち、私はほんの少しの間目を奪われた。邪魔だよと言わんばかりに、スーツの男にどんと弾かれる。始業前の一息に急かされる様に私は足を運んだ。
今でも、私に向かって差し延べられる、あの手はあるのだろうか。
雷雨の帰り道、私は、なつきの諦めたような瞳を思い出した。硝子がはめられたかのような瞳は、光が当たると綺麗に跳ね返す。光の当たり具合によってキラキラと輝いたりする。けれども、決して自ら光りはしない。
差し延べられる手に、どうしようもなく、すがりたくなる。そんな衝動さえ、私は無くしてしまった。
なつきもまた、同じなのだろうか。
駅までの道のり、ヒールを大きく運ぶ。ヒールとコンクリートがぶつかる音に、申し訳ない気持ちになる。ヘアは起きたままだが、毛先のカールはいつも通り保たれていた。こういう時は、パーマをあてていてよかったと、つくづく感じる。
階段を駆け降りると、いつもの電車が到着するところだった。
大きく息をはき、呼吸を整える。ハンカチを額に押し付け、もう一度ふっと大きな呼吸をした。
電車に乗り込み、閉まったドアに目を遣ると、涼しい顔をしたなつきが肩で息をしていた。
なつきはいつもより青白く、頬はいつもよりピンク色をしていた。黒地の縁に白の薔薇が咲くハンカチを、ぐぐっと額に横切らせた。そのハンカチはなつきの容姿によく似合うが、なつきらしくないと思った。
なつきは、手に持った紙袋の中をがさがさと小さく音を立て整理する。慌ててつっこんできたのだろう。中身を確認しているようだった。なつきは上品な雰囲気とどこかミステリアスなものを漂わせるが、その行動はなかなか男っぽい。
私はまだ少し早い呼吸を気にしながらも、携帯電話を引っ張り出した。10分の道のりの疲労は大きく、とても本を読むような気分ではなかった。かといって、ただ足を踏ん張りひたすら堪えるのでは、上がった息を遠ざけられない。溜め込んだ返信を作ろうと、メールを読み返す。
ふと、自分がいかに人との会話に乏しい日々を送っているかに気付く。仕事柄一日中人と接してはいる。けれども、たわいもない会話等は、鮮明な記憶の中にはなかった。私はあっさりとした性格のおかげか、多くの知人を得た。しかしそれと引き換えにか、奥に潜む泥のようなものを吐き出せる場所を失った。正確に言えば、そういう場所を自ら、外に押し出してきた。
差し延べてくれる手があることに気付きながらも、その手を引くことは、なかった。
わずかに早い呼吸のまま、ホームに押し出される。振り返ると、閉まるドアのすぐ向こうに立つなつきが見えた。その姿は際立ち、私はほんの少しの間目を奪われた。邪魔だよと言わんばかりに、スーツの男にどんと弾かれる。始業前の一息に急かされる様に私は足を運んだ。
今でも、私に向かって差し延べられる、あの手はあるのだろうか。
雷雨の帰り道、私は、なつきの諦めたような瞳を思い出した。硝子がはめられたかのような瞳は、光が当たると綺麗に跳ね返す。光の当たり具合によってキラキラと輝いたりする。けれども、決して自ら光りはしない。
差し延べられる手に、どうしようもなく、すがりたくなる。そんな衝動さえ、私は無くしてしまった。
なつきもまた、同じなのだろうか。