水曜日のバイトは21時に終わるのだが、その後の閉館作業で21時30分ぎりぎりになってしまう。


先週も、目の前に広島バスセンター行きのバスが通りすぎていった。。。


ほんの20mくらいだったろうか。


あっ!やっぱり来ちょる!と思い、必死に

「あーー待ってー」

わざわざ肺活量の少ない、持久力のない私が声を発してあげて猛ダッシュ!!しているというのに、

バスは無残にも

通り過ぎていってしまったのである。


運悪く、その日は雨が降っていたので、おそらく私のか細い声は雨の滴る音と、

バスのタイヤが路面に滑る音によって全てかき消されていたのだろう。



何もいない道路。

滴る滴。

遠くに見える山の暗い稜線。


立ち尽くすわたし。


どれだけ!!


切なさがわたしを襲う。


そんなわたしをバス停で西条駅行きのバスを待っていた女子学生が一人見ていた。

彼女はおそらく、わたしが叫び、残念がって呆然としている一部始終を見ていたと思われる。

今もずっとわたしを見ている。

やめて!見ないでよ!

と心の中で何度も叫んだけど、まだ見ている。


そんなに気になるなら、バスをとめてよ!!

って感じだった。


その日は結局JRの接続が悪く、帰ったのは夜中0時前だった。

次週は遅れませんことを祈るばかりである。


終わり。


こんなわたしでも去年よりは断然成長っプリを見せている(たぶん)ゼミ発表を終えた。


後輩に教える、というよりかこうあるべきだという姿を見せなければと見えないプレッシャー(p)と、もうM1のこの時期では当然のことながら理解しておかねばならない内容をしっかりと把握しておかねばというpが私を襲っていた。


考え方は多様だ。


しかし、基本は同じなはずだ。


問題はそれをどう伝えるかだ。


行動で示して伝わる日はいつ来るのだろうか。


どちらにせよ、研究のパラダイム、研究室のあり方を構築することは、とても大切なことなのだと思う。

研究室が走り始めてから間もない今、わたしたちがそれを作りあげていかねばならない。


が、その意識のあるものはおそらく今のところ2人しかいない。




久しぶりにY先生と長く話した。

先生も同じ考えでとても安心した。

が、いつも安心して要らないことまでしゃべり続けてしまうのは気をつけなければならない事項である。

(実はそこが面白かったりする)


先生が学生の頃の話はなぜだか面白い。

昔は厳しい人が多かったし、研究に対する意識も高かったように思う。(広大がやばいだけかもしれない)

というのは、最近は人に無関心な人が多いという感覚を持つことが多いからだ。


先生の仰るように、嫌味を言う人も必要なのかもしれない。


確かにこの人を怒らせてはならない、みたいな存在は必要かもしれない。


やさしくしてくれる人を悲しませたくないというモチベーションで十分なんじゃないかなーと思うのは私だけなのだろうか。

私はブレない。


自分の思いを自分の言葉で的確に伝える。


そうしていきたい。