先日、お隣のS研究室の先輩、Kちゃんからメールが来た。

会社の働きぶりとか、大学や就活はどう?とか。そんなたわいないこと。

すんごく嬉しかった。


こういう風に、卒業っていう区切りでお別れしたのちも、お互い気にしあって、付き合っていくっていいなーと。


色んな人とつながりを保ってきて、改めて色んな人に支えられているんだなぁと実感。


いまだに小学校時代の友達とも連絡とったり、先生とも長らくお付き合いさせていただいている。

友人には、あほ話や愚痴を思う存分言わせて貰い、お互いに刺激しあって、先生や先輩には多くの教訓を教えていただいたよなぁ。


自分の軸を持ち、人生を通して思い続け、行動し続ける素晴らしさっていうものを小学生からなんとなくでも、近くで感じさせてもらったのは、でかかった。

私の生き方を大きく左右したと思う。


そういう出会いを沢山させてもらってきたから、ほんと人に恵まれてきたなぁといつも感じている。

どんなにばかな出来事があっても、

ネガティブ思考が表情をいつの間にか曇らせてしまっていても、

そこを大事に思いたくて、

仕事にしろなんにしろ、やっぱり生きていくなら恩返しして、私も働きかけていきたいんだって思う。


時間は刻々と経っていくもんだ。


思いを馳せると、

彼らも人生に悩んでいる。


それは本気でぶつかっているからだ。


不安は絶対ある。

けれども、自分が自分に自信を持たなきゃ誰がそれを信じてくれるのだろうか。


今までの思いって何だったの、

あのときの熱い気持ちはどこへいったの、

と強く言ってくれた先輩の言葉は、私を奮い立たせてくれている。


私の優柔不断さとか、どこまでも貪欲に考えていくくせに折れそうになるあまちゃんな部分とか全てお見通しで、やっぱすごいわ。と思う。


恥ずかしさという次元を超えて申し訳なかった。


ああいう人になりたい、あの像をちゃんと自分のものとして、自信を持って現実のものにするために、修行はまだまだ続けていかねばな。


ここで終わりじゃないんですよ。

なーんか勘違いしていたんだ。


この間は、今までに無く、様々なことで悩みを抱え、しんどそうだった先輩だったが、私の未熟な部分も自分と重ね合わせて考えてくれていたようで、もしもそれが先輩にプラスに働いてくれていたとしたら、それもまた、人との巡りあわせなのかなと思う。


じっくり、まっすぐ。


私なりのペースで歩きつつ、末永く彼らを近くに感じていられたらいいなぁと思う。


うちの周りに植えてある木々に毎年うぐいすがやってくる。

今年も。ほら。


ほけきょ。


窓越しにほけきょの姿を探したら、あの長い翼のぷっくりした姿を拝見することができた。


桜もじっくり見れないほど余裕のない今、けなげな姿に穏やかな気持ちになる。


母が言うように、

がんばれ

と言ってくれてるのかはわからないけど、


嘘でもそう思うと、とても単純なわたしは、

いいことあるかも!

と思えてくるのだった。

尋常でない、いやそれでも穏やかな年明けを迎えることができ、早2ヶ月が経とうとしている。


怒涛だった。


12月末に発熱、リンパ節炎で入院し、しばらく自宅療養し、抗生物質の副作用と戦う日々を過ごしていた。


今、就活や研究、後輩とのやりとり、送別会の準備など、体調管理をしつつ多数のことをこなす中で、あの数ヶ月の出来事から感じたことを忘れてしまい、再びふさぎこむ状況に陥りそうになるけれど、それでもあの経験は私に課せられた偶然でなく必然的な出来事だったんだと思える。


倒れる前は、何のために生きているのかわからなかった。

そんなこと完全に理解できることなんてないかもしれないはずなのに、ただ毎日過ごすことに全く意味を見出せず、他人から見たら生きているのに死んだような目をしていただろう。


口癖は「生きる気力が無い」だった。


一度、10、11月ころにかけて同じようなことを思い、生きるなら責めて他人に迷惑をかけないように、人のために何かができたらいいなという結論にたどり着いていたはずだった。

しかし、その思いには全く力が無くて、結局はずっとしこりが残ったままだったように思う。


中間発表やゼミ発表、講義のプレゼン資料つくり、バイトで疲れていたのもあったのだろうけど、あのときは異常なストレスを感じていたための発病だった気がする。

自分に対しても他人に対してもジレンマを感じていた。

自分に厳しくしているつもりなのに上手く物事が進まないことと、自分にされて嫌なことを決して他人にしたくないのに自分への厳しさを他人にもあてはめてしまったがゆえに行動や発言が思っていることと一致していないことは、自分がまだ子どもで甘いということを露呈していた。

それを痛感することがストレスを増大させていた。


倒れて何も出来ず40度近くの熱に1週間ほどうなされ、寝れず食べれずの生活を送って、入院をして、それまでのことが少しリセットされたような気がした。


一人では生きていけないんだと実感したからだ。


親や兄、看護師に頼らないと生きられない情けなさも感じたことはもちろんだけど、倒れて無くても一緒だって思った。


「生かされている」


しかも、病床で私ははからずも一瞬気を失いかけたとき、しぶとく生きたいと思ったのである。


よれよれでも、歩けたり食事が少しずつとれるようになってきて、どれだけ普通に過ごせることが有難いか、今までもわかっていたはずのことが鮮明に理解できた。

そのときに、もし生かしてもらえるなら、絶対に人に役立つことをして生きていこうと誓ったのだった。


生きる気力が無いなんておこがましいことなんだってこともよくわかった。


少しずつ動けるたびに、今日はこれが出来たなぁと思い、何も出来ない日々を思った。

そして忘れそうになったら手の甲にある点滴の跡を見るようにしている。


今は少しそれを忘れそうである。

そのときに、事務のfさんが言ってくれた「焦らないようにね」という言葉を思い出す。

癌になった経験のあるfさん、普段から心遣いが素晴らしいfさんに言われると説得力がある。


y先生がいつも気にかけてメールをくれたり声をかけてくれることもとても有難い。

同じような経験をしていたり苦労の多いぶん優しいのだろうなといつも思う。

こんな私にも目を向けていてくれることに心から感謝しています。


気付いた大事なことはもう1つある。

「限界を知ること」「限界をつくらないこと」である。


3歩歩き2歩下がる日々を送り、もどかしい思いでいっぱいだ。全てのことをこなすという理想を実現できるか分からない。

体力的にも精神的にも客観的に見れば、おそらく激務とされる業界で働くことは向いていないだろう。

普通に働くことすら危ういのかもしれないことを非常に恐れている。

そのために、かなりハードルを下げてしまっていた。

限界を知ったために挑戦することややりたいと思うことに全力を注ぐことを忘れてしまっていたのである。無理かもしれないと少し思ってしまったら、そこから逃げてしまっていた。

やはりずっとやりたいと思うことから目を背けてはいけない。

挑戦はしようと思う。


後輩には自分の全力を何事もつくせば道が開けるなんて言ってわかってたつもりだったけど、私がそれを忘れていた。

kちゃんの「やりたいことはやった方がいい」という言葉もそれを思い出させてくれた。



人間関係はずっとテーマのような気がしている。

あの素晴らしい先輩方の後をついていこうとするには、自分なりの形に変えて実行しなくてはならない。

この方法は?あの方法だったらできるかも!という試行錯誤はずっとやっているし後悔することもある。バカな発言をしたなってこともかなりある。

思っていることを適切に伝えられることができたら。。と思う。


言葉で伝えなければ絶対伝わらない。

常に相手の立場になって考えなければならないということを就活や後輩とのやりとりなどからも教えてもらった。



やはり体調を崩したことは、いろんなことの足かせになってしまっている気はするけど、挽回して自分なりのペースで前向きにやっていこうと感じる今日この頃である。