カウンセリングルームあすかのブログ

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 【生きずらさを努力で補っていた母】

母と永遠のお別れをしてから、1ヶ月が経ちましたが、

まだまだ現実として感じられません…

「仕事は生き物!誰が見ていなくても、仕事が見ている」

が口癖で、仕事を心の柱にして生きていた母でした。

母は、3歳の時に実父が亡くなり、実母は(母の)妹を連れて再婚し、

母は伯父の家に預けられました。その後は、親戚の家で誰にも甘えられず、

必死に良い子(お手伝い)をして、生きてきたと何度も聞かされました。

「親がいないことが、どれだけ辛いことか…おしん(TVの主人公)が羨ましい。

おしんには、母親がいる」と…

そうして結婚した母は「自分は、父親が亡くなったから母親から捨てられた。

自分は夫に万が一のことがあっても、絶対に子どもは捨てない!そのために資格を取る」

と決めて、簿記2級の資格を通信教育で取ったそうです。

今から50年ほど前のことです。

「お金は誰かに取られることがあっても、身につけたもの(資格)は誰にも取られないから」

と言い聞かせられて育てられた私でした。

本当に必死で生きていた母でした。信じられるのは、自分だけ…そんな感じがしていました。

そんな母の生き方を、あたりまえのように尊敬していましたが、母に甘えることはできませんでした。

けれども、いつの間にか私も、同じような生き方をしていたように思います。

そして、心理やカウンセリングに出会い、自分の生きにくさの根源に母の生きにくさが重なって

いきました。気付いたのは、子育てが苦しいと感じられるようになっていったからでした。

交流分析・ゲシュタルト療法・ポリヴェーガル理論からひもといていき、私の脚本がわかってきました。

そして、母の生きにくさを「発達性トラウマ」の視点から見ると、本当に納得できるようになりました。

「発達性トラウマ」とは、子どもの成長の過程で起きてくるトラウマのことで、人それぞれ色々な事情は

ありますが、母は親からの十分な愛情を受けられなかったことが根源にあると思います。

いつも「戦うモード」で身体を硬くして生き、誰も信じられず、誰かと繋がることを怖れ、誰にも相談せずに

一人で頑張る…という母の姿を見ながら、私は成長しました。どれほど苦しかったのかと、今の私は心が

痛くなりますが、若い頃の私には「颯爽としていてかっこいい母」と見えていました。

晩年になって、いつも「頭も身体も鉛が入っているように重たい」と言っていて、心の原因もあるのだろう

と思いながら、ゆっくり寄り添えなかったことが本当に悔しいです。

まさに交感神経系と副交感神経系(背側迷走神経系)が乱高下していたのでしょう。

体調を崩し入院し、コロナ禍で会う事も許させず、永遠のお別れとなってしましました。

母の生き方・人生から、私は貴重なものをいただきました。

これを、今後の私のカウンセリングに生かしていきたいと思っています。

そうして、母は私の心の中で生き続けることでしょう。

「発達性トラウマ」は、私たちの日常にあります。

私のできる方法で、ご縁のある方に伝え続けていきたいと思っていますキラキラ

 

注意 「心のストレッチ」 1日ワークは中止です

 1月10日に予定していました「1日ワーク」は、コロナの状況から中止としました。

 2月は実施は未定です。

 状況をみて、再度お知らせします。

 

乙女のトキメキ 個人カウンセリングも新規の方は、受け付けておりません。

   

※コロナの感染状況が、1日も早く収束することを願っていますお願い