ふと思い立ってスマホを取り出し、Google検索してみた。

フルに文章を打つつもりだったのだけど・・・

「うらをみせ」だけ打ったら予想外にダダダッと何件も候補が出てきて、全て検索しようと思っていた物だった。

 

それは『裏を見せ表を見せて散る紅葉』の句です。

 

ご存知の方も沢山いらっしゃるでしょうが、もちろん禅僧良寛さんの句(和歌)です。

十数年前に母親が他界したあとに、何かの本で読んでその情景が気に入っていた歌なのですが、義母の納骨の時にもその寺のご住職がこの歌を引用していました。講和の内容は忘れましたが(ご住職すみません)。

それがたまたま昨日図書館で借りてきた本にまた引用されていたので、ちょっと何か書いてみようかなとAmebroを開いています。

 

全く普通の落葉の情景で、葉っぱがクルクル舞い落ちてくるシーン、当たり前すぎて何も思った事がなかったのですが、それを「裏を見せ」また「表を見せて」と句に読むのが新鮮すぎて、心に焼き付いて(?)いました。

クルクルと、ハラハラと落ちる葉を「裏を見せ、表を見せて」と言われると、「あぁ、なるほどそうとも言えるんだ」と思ったのです。

 

これは良寛さんの辞世の句と言う解説もありますが、死ぬ間際ではなく、寄る年波に勝てず生死を彷徨い始めた頃に弟子(超若いガールフレンド?)の貞心尼さんとやり取りした相聞歌だそうで、その前の句は貞心尼さんの

『いきしにのさかひはなれてすむ身にも さらぬわかれのあるぞかなしき』

「生き死にの境(界)離れて住む身にも 去らぬ別れのあるぞ悲しき」

(生死の間の仏門に入った身(僧尼)にも別れは悲しいものです)←合ってるかな?

 

これに答えた良寛さんの句が

『うらをみせ おもてをみせて ちるもみぢ』

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」

(もう今更全て裏も表もさらけ出して生きてきたから 思い残すことなく死んでゆく)←合ってるかな?

 

これにまた貞心さんが答えて最後に

『くるににて かえるににたり おきつ波』

「来るに似て 返るに似たり おきつ波」

(寄せた波が返す(引く)のが自然な動き)

と上の句を読み、

良寛さんが

『あきらかりける きみのことのは』

「明らかかりける 君の言の葉」

(あなたの言う通りそれが自然の道理です)←合ってるかな?

と下の句を読んで入滅されたそうです。

満ち潮が誕生で、引き潮が入滅を表しているそうです。

 

その中の句が「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」ですが

なんとなく好きなシーンで憶えていました。

 

 

どれが辞世の句なのか分かりませんが、もう一つ好きな良寛さん歌があります。

 

『かたみとて何かのこさむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢば』

「形見とて何か残さむ『春は花』『夏ホトトギス』『秋はもみじ葉』」

(形見に何か残したいと思います『春は花』・・・)

 

「おぉ~~~、格好いい!」と思った!

最後はこう言いたいと思いましたね。

 

これは多分道元禅師の

『春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり』

を受けた歌なのかな~と思っています。

私はこの道元の自然を歌った歌が何故か大好きです。

ジュリー・アンドリュースがミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』に中で歌った「私のお気に入り(My Favorite Things)」に似ているような気がします。

 

もう一つ良寛さんの辞世の句と言われているものに

散る桜 残る桜も 散る桜』と言うのがあります。

必死にしがみついて残った桜花が、先に散って行った桜花を見下ろしている風景。でも結局君も「散る桜」~!

これは笑うシーンでないのは分かっているのですが、何となく可笑しかった。

半日遅く散ってゆく桜も、運命には逆らえず、いつかは散る運命は同じなんですよ。五十歩百歩とはちょっと違うけど、運命には逆らえないって事ですよね。いつかは散るのが定めなんだから生に執着するべからず。

 

 

最初に良寛さんを禅師と書きましたが、公には曹洞宗(禅宗)の僧侶とされていますが、ご本人はあまり拘っておらず、色々な宗派を勉強されていたそうですね。まあ仏教はお釈迦さん一人から分派したのだから、元は同じはずで、解釈の相違(?)で枝分かれしただけ(のはず)なので拘らなくても良いと私も思います。(←お前が言ううな!ですよね)

 

最後に気になったのが「明らかかりける 君の言の葉」の中の「言の葉」。

新海誠のアニメ『言の葉の庭』の中で女教師さんが新宿御苑の雨の東屋で言った和歌はなんだっただろうか?

もう検索する元気がなくなったので、どなたか知っていたら教えてください。(笑)