前回記事からかなり時間が経ってしまった。。
今更ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。。
私ですが、人から見たら「何やってんだ!?」的な日々を過ごしてます。
グリーフケアとして何もしないのが今の私に必要な気がしてるのですな。
叔母と母が亡くなり諸事が重なり、それを一人でやって疲れてしまった。
今は一つずつやるようにしている。一気にやる気力と集中力が無いのだ。
お母さんが亡くなり最後の手続きもギリギリで完了したのですが、
手続きが終わるって寂しい。もう名前を書く事も無いんだなってね。
そして新盆。四十九日の時はずっと前からアレコレ考え準備してたのに
今回は1週間前になっても準備しようという気力が出なかったよ。。。
これじゃいけない!と新盆飾りやお参りに来てくれた人への返礼品を
用意をしたのだけど、返礼品の数を間違えて大量に余ってしまった。。
それでも新盆飾りを作れたし、花もお母さん好みに飾る事が出来た。
今回はいつもと違いお母さんの居た部屋に飾った。
最も相応しい場所でここしかないし、ここに来て欲しい。
お母さんの部屋に飾るのでラック類は隣の部屋に移動したのだけど
カレンダーやケアに関する貼り紙はお母さんが亡くなってからそのまま。
近所の奥様方がお線香を上げに来てくれて、部屋の貼り紙を見ながら
「こういうのが一番良くないんだよ~」とその中の一人が言った。
いつまでも片付けないと気持ちの切り替えが出来ないという事を語り、
隣にいた人は「人によって違うよね」的な優しげな笑みを浮かべてた。
「こういうのが・・云々」発言に反発を感じなかった。すんなり納得。
その時の精神状態で救われる言葉は違うし、感情は流動的だもんね。
「元気ださなきゃ!」で傷つく時もあれば「そうだよね」と思う時もある。
見守ってくれてると解っていても物足りない時だってあるはず・・と思う。
「どっちも有り」なんだよね。社交辞令やデリカシーの無い言葉だって
その瞬間は私の事を案じての言葉。肯定も否定もせずに受け入れてる。
人は自分を中心に考えてる。励まし方や慰め方はみんな違う。
自分の心に寄り添って理解して欲しいと思うより、それぞれ表現は違うけれど、
たとえ社交辞令だとしても、それでも気にしてくれた事を嬉しく思えるのだ。
人は私の為に居る訳じゃないんだもん。閉じこもっているのは私なのだ。
人に癒やしや理解を背負わせてしまうのは自分自身の甘えのような気がする。
その時々の自分が救われる言動や優しさを自分で探す。最後は自分自身。
人の言葉を受け入れてから、今の自分に必要な何かを見つければいい。
お母さんが亡くなってから、車にぶつけられそうになったのが数回あった。
お盆直前には公道からコンビニに入る時に道に沿った車止めに乗り上げて
タイヤ2本がパンク。無理して自宅まで戻る手前でバースト。レッカー要請。
タイヤは交換したものの、運転するとタイヤに違和感を感じ再修理の予定。
最近は運転が恐くなってしまったよ。安全運転タイプだけど自信喪失状態。
気力と集中力の低下を自覚してるんだから家に居る方が世の為人の為だね。
喪失感や悲しみとは別にグリーフケアという言葉を利用してる自分がいる。
何もせず、何も出来ず、やろうともせず、だらだら暮らしている言い訳に。。
何もしないのがグリーフケアっていうのは自己保身なのでございます。
怠惰に慣れ、社会復帰できるか不安で逃げてるだけ。そんな気がするもん。
近所の奥さんに「きっと必死だったんだよね」と言われて涙が出た。
去年までは私なりに必死になってお母さんと暮らしてたのかもしれない。
もう必死になることもない。怠惰と不安だけ。でもきっと抜け出せるはず。
いろいろあったぜ的なお話を。。
・自己チューpart1
私は今年自治会の組長で盆踊りの練習や当日の手伝いに数回行った。
ある組長は「喪中だから」の理由で練習や手伝いに一度も来なかった。
組長は参加なので、ある人が「喪中って誰の喪中よ?」と聞いていた。
義父・・奥さんのお父さんが亡くなった事での喪中。。。。
実親の喪中じゃ無いのに・・と周囲の人は思っていたようで微妙な空気感。
確かにその人は「喪中だから」を連発し少し反感を買っていたのも事実だけど
家族と他人では「喪中」の受け止め方が違うんだろうなって思った。
9月にお祭りがあり私は食事係の班長をして欲しいと依頼されたけど断った。
お母さんが亡くなったのが10月。1年経ってないので「喪中だから」と言うと
「誰が亡くなったの?」と聞かれた。亡くなると回覧が回るけど忘れられてる。
「母です」と言ったら「あっ!」とバツが悪そう。。(忘れられて少し寂しい)
「喪中」を意識しているのは当事者だけ。人は他人の事にそれほど興味がない。
私も「喪中だからって盆踊りの手伝いをしないって・・しかも義父」と思ったし
他にも喪中の人がいたけど手伝いに来てたのに・・と違和感を持ったのも事実。
「私だって喪中だけど手伝いに来てるのに」が本音。(比べるという愚行)
グリーフケアだ何だと言ってる私こそ、自分中心で物事を考えていたのだよ。
その人にとって大切な義父だったのかもしれない。父を亡くした妻を思って
賑やかな行事に参加しないのかもしれない。そういう事まで考えなかったよ。
それこそ他人には解らない、当人だけのテリトリーなのかもね。
・自己チューpart2
以前アメ限記事で叔母の遺産を分けた従姉妹の話をアップした。
協議中、協議後、振り込み後すら何の連絡も無かったのに7月の終わり頃
突如お墓参りをさせて欲しいと電話があったのだ。
「私がやってあげた感アリアリ」の為か「今頃?しかも振り込み後!」と
ダークな気持ちは否めない。「こんな考えを持っちゃあいけねえな」と反省。
従姉妹も遺産を貰った事でお墓参りをしないと気が済まないという気持ちが
あるのでございましょう。
・ある意味・・忖度?
お母さんが亡くなった事を最近聞いたハトコが新盆にお参りに来てくれた。
親類からの又聞きなので亡くなった日時が違ってたりしてるのは仕方がない。
御仏前を頂戴したのだけど、その時に家族葬だったという事を話した刹那、
「えっ!うそっ!そうなのっ?」と「しまった!」を感じさせる表情になったのだ。
御仏前は中身は3万円。。しまった!の原因は3万円?としか思えないぞ。
確かにお香典+生花もしくはお供物+新盆御仏前っぽい金額。。
家族葬と知ってたら・・が如実に表情に出てしまったのでございましょう。
正直さというのは清々しいもので逆に好感度アップよ。
申し訳ないので2万円のカタログギフトをお返しする事にいたしました。
商品券も選べるので少しはショックも緩和されるのでは・・と思いたい。
家族葬って判断しにくい状況を作ってしまうのですね。