※長文です。


ちょっと憂鬱になって考えたこと。

それは、想像力の欠如。


まがいなりにもデザインちっくな仕事をしている自分には

マイナス以外何ものでもない。


だから、理詰めで制作していく必要がある。

天才肌の人間ではないし、理詰めと経験しかない。



でも、たまに思う。

大人になる前に想像力が削ぎ取られなけば

もっと違っていただろうと・・・。


ただ、今の自分を否定するわけではない。

今の自分になるための通過点であったからだ。







小学5、6年から不登校になり

中学はろくに通っていない。

高校にも行かず、専門学校にいって中退。

まさに、我が人生暗黒の時代だ。





そこから脱するきっかけで

当時、映画の仕事に就きたいと思って、

夜間中学からはじめないと行けないと思ったくらいだったが、

その学校の先生が

専門職の強い定時制の高校を教えてくれた。



その先生は、突然の話に

実に親身に話にのってくれた。

その人がいなかったら今の私はない。





小学生に上がる頃から、父と二人暮らし。

不登校に陥った私に

父は悩んだことだろう。

しかし、当時の私に

父との心の繋がりは無かった。



どうすることもできない父。

その葛藤の末

私を棒で叩いたこともあった。



逆に私は

父に馬乗りになり

首を絞めたこともあった。

もしかしたら、本当に殺していたかもしれない。




しかし、お互いに何も干渉しない頃に比べると、

むしろ関係が改善に向かって前進していた、

と振り返ると思う。





そんな暗黒の日々の中にあって、

私と一緒にいたのはテレビだった。

朝から朝までテレビ。




親の背中を見て子は育つ

というが、テレビを親にして育った面のある自分。


その頃から、テレビの娯楽性と

情報の確かさと、不確実、不誠実さを

反面教師として育った。



妙に大人びた、口先だけは一丁前な人間になってしまった。



日々募る得体の知れない不安。

夜、階段の向こうや、廊下の向こうにある闇

その中に潜む恐怖。


朝、扉を開けようとしても開けられず

学校に行けない自分。

その扉はとても重く、大きく、恐ろしい。


自分の中で広がる恐怖。




想像力は、自分を恐怖に陥れもしたが、

夢の空間にも運んでくれた。


希望はあるという希望


そんな、切ないものであったかもしれないが

映画を観ているとき

僕を色んな所に運んでくれた。





ある時期を境に

想像力の一部、体の一部を捨てた。


それは、自分の闇、心の傷を捨てるため。

思い出の箱にしまったのだ。

その代償として、想像力を失った。




体の傷は治っても、心の傷は治らないという

確かに、胸の痛む、傷がうずく時がある。




私は月が好きだ。夜が好きだ。


太陽は、時に私には酷なときがある。

照りつける日差しに負けそうになるときがある。

心が乾いてしまう。


月は、私に何も求めない。

なにかを与えてくれるわけではないが、

なにかを求めてくるわけでもない。


ただ夜空に浮かんで微笑んでいてくれる。

見守ってくれている。




親という字は、

木の上に立って見る

と書く。



私の好きな言葉は

信じる。




私が生きていけるのは、

誰かの優しさに触れられること。

誰かの助けになれること。

そして、それを知っているということ。



そのことを知らなかった暗黒時代の自分。

今で言うリストカットをしたこともあった。

流れる血を見て、


生きているんだ。


となぜか実感できて、涙がこぼれてきたこともあった。

自分の中しか世界が無かった。



いつも一人だった自分。

だから、今でも一人の時間がないと落ち着かない。

友人と夜通し遊ぶのはキライじゃないが、

どうしても苦手な面がある。


キライじゃないのに、

100%好きってわけでもない。

息が詰まってきてしまう。


これは、培われてきてしまったものだから、

一生付きまとうことだろうと思う。


分かっているのだから、

今後は距離感をうまく取って

誰かにとっての良い友人でありたいと思うし、

友人からも、そう思われたいと思う。


こんな勝手な自分を許して欲しいし、

分かってくれる友人には本当に感謝している。