おひさしぶリンゴリンゴ
まー、いろいろと。楽しい事してました。
さかのぼって、6日。
サチコと和歌山県の『高野山』に行ってきました。
いや~、遠かった。
あさの6時に出発。
12時に到着。
3時に向こうを出発。
10時に帰宅。

山道、1時間半くらいは、なかなかのもんでした。
でも、
到着したら、そんな時間は忘れるくらいのパワー!

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リアルでちょっと恐い。

ちょうど紅葉もキレイだったよ!
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『高野山』
知らない人にちょっと説明。
和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。
平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、比叡山と並び日本仏教における聖地。
山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
ここにはホテルや旅館はなく、観光客は宿坊に宿泊。
ご飯も、精進料理。
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魚屋さんはなく、お肉屋さんは一軒だけあるそう。
でも、お酒はのんでもいいらしい。
私達のツアーは奥の院て所をガイド付きでまわる。
お墓が立ち並ぶ一橋からの道のり。
武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、石田三成、江、明智光秀の供養塔を横目で見ながら、

こんな供養塔も。
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冗談じゃないよ、本気!

最近見つかったらしい。
織田信長の、供養塔。
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写真の右端のコケのかぶった。石の塔。
こんなに小さく、ひっそりと、隠してあるように。


私達の目的は奥之院の
「弘法大師御廟」(こうぼうだいしごびょう)
弘法大師、空海のいる所。
御廟橋という所の前から、霊域に入るとして。
飲食、私語、撮影禁止、脱帽、、、など、神聖な空気に。
ガイドさんはガンガン大きい声で話してますけどね。

空海。
名前は聞いた事あるよね。
でも、ガイドさんの話をきいてから、
空海に魅了された。

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あまり知らなかったのでしらべてみました。
(高野山での空海について)

832年(天長9年)8月22日空海59歳は高野山で願いを込め、仏菩薩を供養して懺悔(ざんげ)し、滅罪のための願文。

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」

と想いを表している。
その後、秋より高野山に隠棲し、穀物を断ち禅定を好む日々であったと伝えられている。

834年(承和元年)空海は弟子達に
「私はこの世に生きている期間がもう幾ばくもない、
お前達と別れるのは来年3月21日寅の刻だ」

835年(承和2年)3月15日弟子達に対し、最後の遺誡を終えると、香湯で身を浄(きよ)め、浄衣(じょうえ)を着て浄室に入り、この時以来床座(しょうざ)に上って結跏趺坐(けっかふざ)し、大日如来の定印(じょういん)を結んで弥勒菩薩の三昧に入り、
そのままの姿で7日目を迎え、

3月21日午前4時、予告通り、寅の刻に深く目を閉じ、唇を堅く結び、
金剛定(こんごうじょう、三密金剛の大定)に入定(にゅうじょう)されました。
3月21日に入滅した。享年62(満60歳没)。
しかし後代には、入定した(即身仏となった)とする文献が現れる。

高野山奥の院の霊廟には現在も空海が禅定を続けているとされる。奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕している。霊廟内の模様は維那以外が窺う事はできず、維那を務めた者も他言しないため一般には不明のままである。

約1200年たった今でも、続けられていて、御廟の地下3Mでまだ生き続けている。

う~ん。
1200年たっても、なにか感じるものがある場所だった。
天才と言われて、たくさんの言葉を残している。
難しい言葉を口語訳してある著書から抜粋。

・正しい道は遠くにあるわけではありません。
 あなたが今見ている道にほかならないのです

・あなたの心が暗闇であれば、巡り合うものはすべて禍いとなります。
 あなたの心が太陽であれば、出会うものはすべて宝となります。

・あなたの内なる声に目覚めて、遠い道のりを求めていくには、
 自らの足で歩いて行く以外にはありません。

深い。
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