いろいろな思いがありすぎて上手く伝えられないかもしれないけど、出来る限りブログで綴りたいです!

夜の7時に出発して、約12時間後に石巻市の湊小学校(避難所)に到着した。 予定ではもう少し遅くに学校に入るつもりが、最後のSAはパーキングは満車で仕方なく小学校へ。
バスは私達を下ろしたら仙台で待機する事になっているので、小学校の運動場には止めておけない。

宮城県内に入った頃だと思うけど、バスの揺れがガタガタと激しくなってきた。 明け方の薄暗いなか窓から道路を見ると、所々になおした後が。地震の爪痕があった。それでも今回で2回目の人達の話では、3月に来た時よりは良くなっていると言っていた。

まずビックリしたのは、ホントに内陸の方は家屋の倒壊もなくお店も営業している所もちょこちょことあって、あの甚大な被害はほぼ津波でだというのが改めて思った。
阪神大震災の時は家屋の倒壊や火事などでもの凄い被害。でも今回は目と鼻の先でも津波が来てない所は、本当に地震が起きたの?って思うくらい普通の暮らしをしているように見えた。
でも、実際は被災してるから電気・ガス・水道は止まっていたし。外観は普通でも家の中はきっとグチャグチャと思う。

だんだん奥へ、海の方へ行くにつれて景色は変わっていった。バスに乗ってる全員が窓から外に釘付け。
道路に脇には大量のヘドロまじりのがれきの山、倒壊した家屋、きっと道を塞いでいた自動車がきちんと整列させられてあったり。ぱっと見で確かではないけど、タイヤが4本ハズされている車や、カーナビの部分がごっそりない車も見た。これが盗まれているのかはわからないけど。それでも、暴動や盗難が少ない事に海外メディアがすごい!と言っている事にビックリしたけど、テレビで在日の外国人記者達が震災について討論する番組があって、その中で「こういう大震災がおきたら絶対に後進国、先進国ですら暴動や盗みは起きる、順番に従って行動する日本人は本当に素晴らしいと思う。」と言っていた。
でも、人間窮地に追い込まれたら何でもするんじゃないかと。きっと私でも、、、

話を戻して。
私達の市が震災直後からボランティアを派遣している、石巻市湊小学校。海から約1キロくらいの所にあるけど、ここの小学校も一回は天井まで津波が押し寄せて浸水。
ここには海から直接来た津波じゃなくて、旧北上川を逆流して来た津波での被害が大きいらしく、

湊小学校
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約250人くらいが避難生活をおくっている。
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一階玄関の天井まで津波が来たあとがある。
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津波は第一波、二波、三波と来て。この三波目が一番大きく校舎内外の時計全てが三波が来た時刻のまま止まっている。
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湊小学校は津波対策で一階には教室はなく全て二回から上に教室が造られていた。私達が行った時にはきれいになっていた一階部分はすべて浸水したのでヘドロや漂流物などをかき出し、天井も拭いて、水も電気も何もないので、ぞうきんで拭いたら捨て、拭いたら捨て、の繰り返し。私達が行った時には電気も水道も復旧していて本当に水のありがたさを改めて感じた。
想定では水・電気・ガスは復旧してないのでもちろん自分たちの手洗いから飲み水まで全てを準備して行く。当たり前の事だけど。
全てが汚れている、校舎内も土足厳禁にしてもヘドロが乾いて粉塵となって舞い上がって校舎の中は砂っぽくなっているし、それを拭くにもぞうきんを濡らす水がいる。私達も水道は復旧していたけど無駄遣いはしないように、ぞうきんは濡らすだけで汚れたら捨てる、でも廊下を端から端まで拭き終わる頃には最初に拭いた所にはもう粉塵がたまっている。
一階部分は窓ガラスは割れて扉はもぎ取られていたり外れていたりで、屋根があるだけのテントと同じ。だからヘドロのドブのような臭いも寒い風も粉塵も全部入って来てしまう。毎日、毎日、何回も何回も拭いてもすぐに汚れてしまう。こんな堂々巡りをいつまで続けるんだろう、私達はたった2日間いるだけ。でもここで暮らしている人達は、、、

今日はここまで。
ダラダラ書きでごめんなさい。