5年ほど…いや実際にはそれ以上の年月をかけて
僕の夢は叶おうとしている。
その間、僕は
どれだけの人にどれほどたくさんこの夢を語っただろう…
「口に十」と書いて《叶う》
『願いや希望や夢は口に出して十回出すと叶う』
遠い昔に誰かに聞いた。
神話なのか。真実なのか。
…どちらでもいい
とにかく、とても素敵な話だと、真実であってほしいと強く願うほどに
アレ…待てよ…
十回、口に出すと
《古》くなるのか…
そしたら七回しか口に出さなければ
《叱》られるのか…
ダレニ?
兄ちゃんに伝えたら
《呪》われるのか…
ヤダッ
十一回口に出すと
《吐》いてしまうのか…
オロロロロロロ〜
はたまた
《吉》と出るのか…
ヒャッハァー
と屁理屈が脳裏をよぎる。
さて。
「屁理屈」とは、「くだらない理屈」という意味だが、その語源となる「屁」は言うまでもなく「おなら」である。
「価値のないもの」「つまらないもの」のたとえとして使用されているという。
ナヌ…?
「おなら」には価値がないのか…
2010年5月30日
日本経済新聞に
《おならは腸の健康状態を知る大事なバロメーターだ》
という見出しの記事を見つけた。
「いいおなら」と「悪いおなら」をかぎ分けるコツをつかんでおくことで、日常生活を見直すきっかけにしましょうという内容だ。
それを嗅ぎ分けられる調香師のようなスキルがあるかどうかは別として
決して価値のないモノではなさそうだ。
それに
授業中に屁をこいてしまった場合もどうだ。
その一日は、思い出す度に恥ずかしさに心を奪われる。
もちろん、オーディエンス側になったとしても
放屁してしまった人に対して『さぞ恥ずかしかろう』と一日中余計な心配してしまう。
眠たい授業の内容は終了のチャイム🔔とともに記憶から消し去られるが、《屁》に対しての記憶は非常に強いモノだ。
コレをつまらないモノと言えるのか…
僕は教育者として《屁》に負けない授業をしなければならない。
そう心を奮い立たせた。
夢が叶った話…どこいってん。
“All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them.”
「夢は必ず叶う。それを追う勇気があれば。」
Walt Disney
