私の場合は産む前に結節性硬化症と息子の病名を告げられました
田舎のカウンセラーもいない病院だった為、かなりメンタルやられてフォローなし子供が生まれる前にお腹の子と一緒に死にたいと思っていました
しかし、二個上に可愛い盛りの娘がいたため、たどたどしい言葉で泣きながら病院に行く私にママないてるねと言われて、ふと現実に戻されるそんな毎日を送っていたと思います
そしてひたすらネットで検索しまくって読みあさっていましたその中の言葉に
その子の人生だから
その当時はなんで自分が産む子なのに他人事なんだろうと思っていた私ですが
今ならわかる気が
不安は未来が見えないところから来る
その当時は意味がわからなかったけど
5歳まで息子を育てて今ならよく分かります
そして私はネットやブログから得た情報で、保育園に息子を入れないと居場所がないと考え、絶対に仕事は続けようと決めました
てんかん発作(普通の人が見たらわからない、ぼーっとするタイプの発作)が保育園で出始めた時に市役所の人と園長が、正しい知識なくてんかんという言葉の偏見から退園させようとしてきました(主治医からは保育園登園の許可ももらっていました後日談で、知識のない園長が市役所に相談し前例のないことだったため市役所の担当者と息子を退園させようとしていたそうです)
その時に、母親の横にいて治る病気だったら喜んで仕事やめて、毎日横で看病するてんかんは息子の個性として受け入れてよと強く思いました
そして息子が保育園に通う年齢の間は息子の居場所確保のためにも仕事は続けると決意しました