その後の更なる報告です。

唐突ですが、学んだことの一つを・・・。

中学生って、もう大人な面もあるけどまだまだ幼いです。

大人の感覚で、

「それくらいのこと、言われなくても分かるでしょ?」

と、いうようなことが実際分かっていなかったりします。

だから尚更、病気への理解を求めるにはこちらも努力が必要でした。

先生に頼るばかりじゃダメだと反省。

甘えがあったのかもしれませんね。



先々週、りっちゃんは自分の言葉で脳脊髄液減少症という難病への理解をクラスメートに訴え、そして今後についての自分の意思を伝えました。

その前日に、クリニックのDr.にそのことを話したところ、りっちゃんの勇気を称えつつ、原稿を書く際、加えたほうがいいだろうポイントを医師の目線でアドバイスしてくれました。



・この病気を発症後、一年半のうちに数回にわたり有効な治療を受けたが、すぐに治癒するものではなく、未だ症状に悩まされることがあること。

・その多岐にわたる症状を細かく伝え、どんな対処が必要かを伝えること。

・何が出来そうで、どんなことが難しいのかを知ってもらうこと。


などです。

特に最後の、「何が出来そうで・・・」、は周りの戸惑いを無くしてあげるのに不可欠だと。

そう、助けてくれようとしてくれている子達も、どこまでやっていいのか?と、りっちゃんへの接し方に戸惑っていたところもあると思うのです。

それを踏まえつつ、りっちゃんは原稿を何度も書き直しました。

もちろん自分の悔しい胸のうちや不安も書きました。

そして、ゆっくりと読み上げました。



保健室受験だった学期末テストをはさみ、その緊張の一日から数日振りにクラスに合流した先週火曜日。

明らかにみんなの反応は違っていたようです。

今まで以上に、積極的にりっちゃんをサポートしようとしてくれる子が増え、翌日の天気まで気にしてくれたり。

りっちゃんのほうも、不安に思ったことは口に出し、相談したりヘルプを求めたり出来るようになりました。

暴言グループがどう思ったかは知らないけど、これからは例え辛らつな言葉が耳に入っても、そちらに目を向けるのではなく、理解し、サポートしようとしてくれているお友達のほうを向いて、感謝しながら過ごしていけばいいと思う、と二人で話しました。


一人じゃないのだから、自信を持とう!とも。キラキラ

担任は、

「あんなにまっすぐな言葉を受けて、それでも尚、何か言う子がいるとしたら僕はちょっと・・・正直どうしたらいいのか・・・。」

と、言っていました。

先生もこれで安心☆ってわけではないんでしょうね。正直な言葉だな、と思いました。

でも、本当に感謝しています。

りっちゃんが、自分で発信する勇気を持てたのは、先生方の心強い支えがあったからです。

学校生活から1年以上も離れて、ただでさえ不安な気持ちでいたところに起きた我が家にとっての大事件。

「学校にずっと行けてなかったから、今入っていくのは不安なんだよ!!」

と、珍しく泣いて私に訴えたこともありました。

でも、先生方のバックアップがあったからこそ、その不安を払拭しようと、娘は頑張れたんだと思います。

勉強だって、ブランクがあったから成績が振るわなくて当たり前なのに、少しでもみんなに追いつきたいと。補習や追試も頑張っています。

頼れる人がいてくれることで、人は自信を取り戻し、前に進めるんだろうってつくづく感じました。

そして・・・、


『学校に普通に行きたいの!頭が痛くても、だるくても、点滴受けてでも頑張って行きたいの!

だから頑張ってる私に、変なこと言って邪魔しないで! 今年こそはお友達をたくさん作ろうっ

て思ってたのに、やめてよ! 高校だってこのまま上がりたいんだ!!大学だって行きたいの!

だから勉強しなくていいなんて思えないんだよ!!』


っていう素直なまっすぐな気持ち、それがガッツの源になってると母は確信してやみません。

子供って本当にまっすぐなんです。

そのまっすぐな姿は、本当に健気だし見ていて感動します。

くねくねしまくりの母は、何度軌道修正してもらったことか(^_^;)

子供の姿で親が気付かされることってたくさんある!

だから、時に親も自分を見つめなおし、謙虚にならないとねあせる

で、思うこと・・・、


例えば大津のいじめ。

加害者とされる三人の生徒も、産まれながらいじめっ子だったわけではありません。

どこかまではまっすぐ進んできたのが、どこかで曲がり始め、それを元の道に戻されること無く中学生になってしまったのだと思います。

危険な方向に曲がり始めたときに、元の道に導くのは大人の、特に親の役目ではないでしょうか?

わが子が被害者になることも心配だけど、加害者になってしまう可能性だってあるわけで、私にしてみたらそちらのほうが心配です。

信頼することと過信することは全く違います。

そして、わが子を守りすぎることの危険さ。

以前、ママ友の一人がこんなことを私に言いました。

「保育参観とかで、二人一組になりましょうって時に、自分の子が一人になるところを見るのは耐えられないじゃない?だから、いつも誰かを一人捕まえときなさい!って子供に言ってるんだ~。」

って、平気な顔で、それが普通みたいな顔で。(・_・;)

子供はまっすぐ親の言葉を受け入れます。

案の定、その子はいつも自分は誰か一人をつかんで放さず、あぶれた子を仲間はずれにしていました。

幼稚園の頃です。

もちろん親の言いつけどおりにしているだけで、それが意地悪なことだなんて認識、その子にはありません。

私は、親にはあえて反論せず、その現場を目撃するたびその子自身に

「ほら、○○ちゃんも入れてあげたら~。」

と、お節介を焼く日々でした。

すると、それを家で聞いたんでしょう。

次にその子の母に会った時、

「なんかうちの子が注意されたみたいだけど~・・・。」

って、笑いながらも何か不満げに言ってきました。

謝って欲しげに・・・。

「あ~ごめんごめん、○○ちゃんが寂しそうにしてたから一緒に遊べば?って言っただけだよ。」

と、私は答えました。

その子はその後、小学校でも筋金入りのいじめっ子になりました。

でも、本当に怖いのは、本人にはいじめてる意識が無く、実際の行動や言動は思いっきりいじめであるということ。

ターゲットになった子は引越ししました。その子のママもとても悩み、苦しみ、外に出られなくなり、安定剤を飲むほどでした。

引っ越す理由が自分の子のせいかも、とうわさに聞いた当事者側は、謝るどころか逆切れ気味でした。

普通の感覚ではない相手を相手にするのは本当に大変です。

ママの悩みを聞き、直接子供たちに目を光らすことくらいしか私には出来なかったので、引越しが決まった時は悔しくてたまりませんでした。

新たな地で元気に明るく過ごしていること、苦しんでいたときに、私のかけた何気ない一言がすごく嬉しかったと、後々言ってくれた事がせめてもの慰めになっていますが・・・。

でも、やっぱ悔しい!

学校は、相談されても消極的でした。なぜか? それは当事者の親が自覚のないモンスターペアレントだったからです。

今はその家も引っ越しましたが、最後までわが子の正体を知ることなく、挙句、その一件のおかげで住み辛くなったと言って去っていきました。

おかしくないか?

そのほかにも何度もこんな話を聞くし、私自身もまっちゃんの不登校時に、学校の腰の引けた対応を目の当たりにしているので、本当に心から子供目線で対処してやって欲しい!と願うばかりです。

今回の事件は、救うべき立場の大人たちが、SOSの発信があったにもかかわらず、何人も目を背け、耳を塞いでしまいました。

学校でのいじめ問題に、親が介入するには限界があります。

SOSを出すにもとてつもない勇気が必要です。

ギリギリの状態になってしまって、力を振り絞って出したSOSに答えてもらえなかった彼の絶望感を思うと本当に悔しいです。

この事件は、うちの一件の直後に報道され始めたので尚更身に詰まされます。

自ら命を絶ってしまうなんていう悲劇が、この先起こらないでほしい。

そんなことを願い、考える毎日です。




すみません、ついつい・・・



どちらの話題が本筋か分からなくなってしまいましたが・・・(^_^;)

お付き合いくださり、ありがとうございました。