年末、宮城から義弟家族が来鹿
義母さんが認知症爆進中の現在、N家の中で常識はアタシだけが辛うじて死守している状態で、沖縄を思わせるようなN家タイム。
せっかちなアタシにはあり得ない1、2時間遅れは当たり前な世界に翻弄され続ける。
来鹿当日、夜8時に到着するというのでそれに合わせ解熱している間をぬって食事を準備していたら、夕方、遅れるので夕食は食べてくると。
まぁ、アタシは構わん。が、待ち疲れる義母のことは考えないんか、お前らは。とため息。到着は2時間、押した22時
翌日、何故か照国神社参りに桜島ドライブ、ホイホイ付いて行った義母は圧迫骨折が酷くならないように装着させていたコルセットをドコかに忘れて紛失
夕食はすき焼きをするとやる気満々だったのでご飯の準備は要らんかと少し安心したのも束の間、帰宅が七時を過ぎると連絡
慌てて絶不調の中、帰宅して直ぐに食事が出来るようオカズを準備
当然、帰宅してすき焼きなど出来るわけなくその料理で食事
アタシの熱は39℃前までウナギ昇る。
翌日、コルセットを紛失し腰痛悪化の義母は自宅待機、ホーチミンを含む義弟家族は霧島神宮へ。
当然、義母にオカズを作るのは無理なので解熱剤を駆使しオカズを作る。
手間取る義母の鶏の煮付けと昆布巻きは煮締まらない状態で出ていた。
昆布巻きはカチカチ昆布でアタシは軽石に(軽く石)
ご厚意で頂いた差し入れは発熱者が摂取量を遥かに超えた物
林檎とイチゴの量を見て『アタシはチンパンジーでも日本猿でもないんだが。。。』と遠くを見つめた。
そして人に渡すときにヘタを取っていないイチゴは初体験であった。
こうして怒涛の3日間後、昼に発つというので昼飯代わりに車内で食べれるパンを4人分準備
そしたら出発したのは何故か2時過ぎ。。。
もうさ、疲労困憊よ、アタシは。
紛失したコルセットは出てくることもなく義母は腰が痛いと騒ぐから、晦日の日にとりあえずにコルセット的なベルトを店に買いに。
そして義母が言ったのが『◯さん、具合が悪かったの?』と初めて聞くみたいに言うから
『あぁ。4日前から、具合が悪かったし、悪かったから母屋に行かんかったでしょうが』と。
『あら、そうね。母ちゃんも腰が痛くて具合が悪かったのよ』とのたまうから
『うん、知ってるよ。昨日もさっきも散々、聞いてるから。コルセット無くしたんやろ。それも知ってるから』
『あらーっ』ってあらーっじゃねぇわっ。
するとデジャヴ!『◯さん、母ちゃんコルセット無くしてね、ドコにやったんじゃろう?』
アタシは無表情で言った。
『知らん(がな)っ』
何でアタシが知っとるか、婆さん。
続く〜