よっしーの母親で今は亡き婆さん

大正生まれの門司の女



敗戦後の混乱した極貧の鹿児島で四人の子供を育て上げた母親を晩年、息子や娘はそれぞれ大切に介護した。

特に長男の伯父さんと次男のよっしーが主体となり婆さんが動ける間は二人の息子の家を数ヵ月単位で往来し、足腰が弱り認知が進行して自宅での介護が困難になると特別老人ホームに入所


それでも週末、婆さんの自宅によっしーは一泊で婆さんを連れて帰った。
自宅近くの爺さんの墓がある寺に行きたいと言えば、墓に続く坂道は歩けない婆さんを背中に背負い墓に連れて行った。


よっしーは昔から手のかからない目立たない次男で、婆さんに迷惑をかけた訳でもないのに、そこまで婆さんを丁寧に介護した理由はアタシにはピンと来ないが親孝行という言葉では済まないほど若くして亡くなった爺さんの分までよっしーは婆さんを大切に大切にした。


それなのに認知症が進行した婆さんが最初に記憶から消したのはよっしーだった。


よっしーのことが息子と認識できなくなり自宅に連れて帰る車の中で『子供は何人いるの?』と尋ねると

『四人おりますよ』と敬語で返す母親に『子供の名前は何て言うの?』と更に尋ねると長男、長女、三男の名前を繰り返し、『それじゃ、三人じゃがね。もう一人は何て言うの?』と自分の名前を手繰り寄せようと訊いても、さっき言った同じ三人の子供の名前を繰り返す母親


『一生懸命介護しとるんやがな、、、婆ちゃん、お父さんのことは忘れてしもうとるわ』アタシに苦笑いしながらよっしーはいつも呟いていた。


いつものように週末、婆さんを自宅に連れて帰り一泊後、施設へ戻る車中で婆さんが目を細め眺めている道端に植えられていたツツジの花に気付いたよっしーが『ツツジが好きなの?』と訊くと

『ええ、あたいな、ツツジが大好きじゃひと(私はツツジが大好きなんです)』と満面の笑みを返した婆さん。その笑顔が忘れられず婆さんが亡くなった年から婆さんが住んでいた家の庭にコツコツ、ツツジを植え続けた。その数は今、200本を越え春には一斉に庭を彩る。


植え続けるツツジは年老いた母親に忘れられたよっしーの母親へのあがきなのかもしれない。


老いていくと個人差はあるが必ず若い頃には見られなかった様々な言動が見られ、そのほとんどが元気だった思い出を消し去るネガティブなものが多い。
そのギャップが大きいほど悲しみや苦しみは他人が思う以上深いが、その深さは受けてきた影響や愛情の分だけなのかもしれない。



よっしーが受け止めたように老いる親を受け止める力がアタシにあるかは疑問だが、そのときの悲しみが深ければ深い分、親から、その大きさの愛情を自分が受けてきたことを心に刻んで受け止めていければと思う。


一番手のかからないよっしーを忘れてしまった婆さん。
ウチは三人姉弟で長男の弟1号は病気で今も独身の実家暮らし、次男の弟2号はでき損ないのヤンチャ坊主で四六時中親の世話になり続けるダメ息子
どうやら、三人の子供で一番先に抹消されるのはどうやらアタシのようだ。


よっしーのようにツツジを植え続ける根性はないのでそのツツジをよっしーの後、引き継いで咲かせ続けられたらよっしーも笑ってくれるのではないかと思うのだ。