上の弟が産まれる時、
当時、アタシ達は大阪に住んでいたのだが

薩摩のミッチーの祖父母に弟が産まれるまでとアタシは大阪から1人預けられた。

以後、アタシは盆、正月の頃は爺さんの家にチョクチョク預けられることになり
この時の経験を友達に話すと大抵はドン引きか大ウケかの二者択一になる…。

爺さんの家は白川郷ではないが日本昔話で出てくるような藁葺き屋根で

トイレは勿論、ボットン。
しかも便器などなく
穴を掘ったところに板をかけてある江戸時代のような便所だった。

普通、ボットンと言えば
深い穴だから底は暗くて見え辛いのだが

この江戸時代便所、穴が浅く肥えがすぐそこに見える。しかも今の浄化槽のようにバクテリアの分解など
バイオの力など皆無。
あるのは大量のウジ。

中には巣立つのもいたり
大阪のトイレとの違いに子供ながらカルチャーショックで便秘になったり…。

でも、昔から異常に適応力に富んでいたアタシは
大阪に帰る頃にはすっかり慣れていたもんだ。

トイレットペーパーなどあるわけなく、すぐベロベロに溶ける昔版ちり紙、それがあるのはラッキーで
通常は新聞紙をクチャクチャにして使う。

畑で用をたした時は忘れもしない爺さんから差し出されたのは
さつま芋の葉だった。

ガスはなく風呂は五衛門風呂で爺さんが作った風呂場、壁なし。

風呂釜の周りに柱4本にトタン屋根のみ。

ま、雨は凌げる完全露天。
しかも風呂は何故か木戸口にあり
今思えば子供のアタシはいいとして
婆さん当時、50代前半。

でもその風呂に入ってたんだよね…。

アルプスのハイジじゃないが超ド田舎の山のてっぺん付近に家があって近所に住んでる人はおらず
家の前の道は砂利道というより獣道に近いため爺さんの乗り物はトラクター。

買い物は週に2、3日
軽トラを改造した走る店が町から品を載せて売りにくる世界で
基本的に自給自足。

だからアタシは肉と言えば鶏肉しか知らず

ハンバーグなんて食べたのは小学校の給食ぐらいだったのだ。

鶏を爺さんは飼ってて
卵は雌鳥が産めば食卓にのぼるが、なければ豆腐がオカズ。

特別な日以外は鶏が食卓にはあがらなかったので
鶏は超ご馳走だった。

冬場は猟が解禁になるので鶏好きのアタシのために
爺さんは近所の仲間にくっついてキジや山鳩を撃ちに行ったもんで

山鳩は小骨が多い上、肉が少ないのでアタシには不評。爺さんに

『爺ちゃん、アタシはキジが好きやからキジで頼む』とリクエストする渋い幼稚園児だった。

盆に遊びに行くとオヤツとして近所兄ちゃんから貰って食べていたのは

蜂の子をフライパンで炒ったもの…。

実に実に、自然児だったのだ…。

過疎化が進み出していたのかアタシと同じ年頃の子など誰もおらず

仕方ないので爺さんが飼っていた猫と牛と遊ぶアタシ。

まさに和製ハイジだ。

薩摩に預けられると、アタシには残念ながら
クララは勿論、ペーターさえもいなかった。

いたのは三毛猫のミーとヤスネコのヤス、牛2頭(名前は○○3号などと幼稚園児にはくそ難しく覚えられなかった)しかいなかったが、爺さんに町で買って貰った子供用のウクレレを握ってポロロンと弾いては喜んでいる変わった子供だった…。