愛犬の闘病、看護で久しぶりの投稿になってしまいました。
早いものでもう3月5日です。
さて、神経の痛みによる難治性の痛みや症状と共に生きるのは、
当事者でないとわからない辛さがありますよね。
眠っているとき以外はずっと痛むし、薬も満足には効きませんし・・
ブログを訪問してくださる皆様のブログを時々拝見していますが、
皆さん、辛い中でもなんとか生活していらっしゃるようです。
私も10年以上前の大手術を担当してくださった医師たちから、
「できるのはここまでだ、これからなんとかやっていって欲しい」
と言われました。
思い起こせば、もう10年以上も前ってことか・・と感慨深いです。
残念ながら私が期待した結果とは違う結果に終わりましたが、
医師たちの熱い思いや願いは私のこころにしっかりと残りました。
大きな傷が治ったあとの神経の痛みは、
安静にしていれば治るってものではないし、
かといって、
「痛い、痛い」と言い続けて生きることに疲れていた時期が
確かにあります。
激痛で動けないことを、単純に「抑うつ」と思われたり、
そもそも、口腔内のCRPSは国内で報告されていなかったため、
これほどまでの激痛であることすら信じてもらえませんでした。
なんでもかんでも、「抑うつ」からの痛みと考えられていたのでしょう。
医療者アルアルです。
当時の私には気づけませんでしたが、振り返ってみると、
医療を提供する側が、激痛をコントロールした経験がなかった、
ことがよくわかります。気付いた頃には遅かった・・
私自身が我慢強いがゆえに、結果的に
激痛が中枢性の痛みとなってしまいました。
これがどういう結果であるのか、当時の医療者がどこまで理解
していたのか・・と考えてしまいます。
まぁ、過去のことは何を言っても仕方ないですし、
私自身も難治性疼痛はテキストで学んだくらいの
机上の知識しかなかったからやむを得ません。
ことの重大さに気付いたのは、自分が神経損傷を負った
患者になってからでした。
当時は、ガバペンを大量に服用するしかなく、
頭がでボーッとする中で、
ネットで検索したり、海外の論文なども読んだり・・
いったい自分の体に何が起こっているのか調べまくりました。
はじめは愕然として落ち込み、怒りを繰り返す日々で、
未来のことは何一つ考えられませんでした。
自分の人生を悲観し、
自分なりに努力して積み上げてきたキャリアが
ガラガラと全て崩れ落ちていく・・そんな気持ちの毎日でした。