今日はなぜか書きたい気分なので、改めて書きます。

 

早いもので十数年前、

 

私は親知らずの抜歯(水平埋伏智歯)が2時間経っても終了せず、

 

皮下気腫(緊急CTで頭蓋底から胸骨まで)になり、

 

残歯のある状態で縫合し、抜歯は中止となりました。

 

皮下気腫は、タービンの音と同時に皮下にピリピリした痛みが

 

3、4回走りました。

 

自分で皮膚を触ると、気腫だ!とわかり、すぐに伝えました。

(過去に皮下気腫の患者さんをケアしたことがあったから。

過去、1番の大量皮下気腫だったと。)

 

この経験がなければ、あの時、どれほどの状態に陥ったのかと

 

恐怖を感じます。

 

そんなこんなで、次は残歯が感染源となり下歯槽神経

 

(脆弱な神経)を包んで守っている下顎管が炎症で溶けて、

 

神経症状が出現。口腔外科医は症状を認めようとせず、

 

私が痛がり、神経質という扱いを続けるため、

 

麻酔科を受診して撮影などして上記の原因がわかりました。

 

その後2回、全身麻酔で長時間の手術をしましたが、

 

1度目の手術で下歯槽神経を損傷。

 

この手術がきっかけでひどい後遺症を負いました。

 

手術後、恐ろしいほど日ごと悪化して会話も食事も

 

できなくなり、痺れは激痛と化。

 

とんでもない状態に陥りました。(数か月病休)

 

過去にこういう報告はない、と言われても現実に

 

起こっているわけだから、抜歯トラブルがどれほど

 

恐ろしいものか、当時の大学歯科関係者は学んだことと思います。

 

自分で少しずつ積み上げた人生がガタガタと崩れ落ちていく・・

 

そんな絶望感と、再起不能と言われた驚きと怒りなど

 

様々な感情があふれました。

 

数年は、障害の受容過程に自分を当てはめて、

 

自分はこの状態か・・と客観視してみたり、

 

この受容過程は間違ってる!と怒りを感じたり、

 

落ち込んだりする日々を繰り返しました。

 

本当に落ち込んでいる時、言葉にして伝えることは

 

なかなかできないもの。医療不信、人間不信に陥り、

 

受診した日は、当時の主治医と会話した内容を

 

話された言葉のまま克明にノートに書き残しました。

(今はスマホで簡単に録音できますね)

 

自分の気持ち、ペインコントロールも克明に

 

書き残してあります。

 

10年以上経ちましたが、

 

その記録は読み返すことができていません。

 

きっと、一生、読み返さないかもしれない・・

 

理由は、辛かったことはよく覚えていますが、

 

赤裸々に記載してある詳細な内容は、

 

月日が経ち、「時」がオブラートに包んで

 

ソフトな記憶にしているから。

 

あえて、その包みを開くメリットは思いうかばない・・

 

このまま隠しておくほうが平穏に過ごせるし、

 

そうしてきたから、前に進めたのかなと思います。

 

とはいえ、激痛が改善することはないし、

 

症状は低め固定ですが、当時よりはマシかな。