口径8インチ、203.2mmの円筒形の鉄のパイプに、塩素かホスゲンの毒ガスを詰めた13.61kgのガスタンクと発射用の火薬を入れて、電気で火薬に着火して撃つ、かんたんな大砲だったようだ。前方の約1,500m先に落ちて、毒ガスをバラまく。
1916年7月1日から始まった西部戦線のフランス北部の「ソンムの戦い」で初めて使用された。それから、1918年11月に第一次世界大戦が休戦するまで、ずっと使われた。14万本も生産された。
1917年7月31日から始まった同じ西部戦線のベルギー西部の「パッシェンデールの戦い」(別名 第三次イーペルの戦い)では、連合軍は、このリーベンス投射器を290本並べて一斉投射を行なったことがある。凄い毒ガスだっただろう。
フランスには、リーベンス投射機がいっぱいあった。ここには180本もリーベンス投射機が埋まっていた。1917年から使いはじめたドイツの発射機は、イギリスのこれを真似した後発品だったわけだ。
ドイツも、コスト削減にピッタリだったんだろう。やたら高価なデカイ大砲ばかり作っていたからな。
でも、マスタードガス弾は、ドイツがはじめてだよ。
毒ガス発明者のドイツのフリッツ・ハーバーが、勝ちたくて、いろいろ研究したんだよ。
戦争のあと、ノーベル賞をもらった。
ほめられてんじゃん。
翌年の1860年に、イギリスのフレデリック・ガスリーもマスタードガスを合成して毒性を報告した。
26年後の1886年、ドイツの研究者ヴィクトル・マイヤーが農薬を開発する研究の途中でマスタードガスの合成法を完成した。しかし、ヴィクトル・マイヤーはマスタードガスの毒性に手こずり、実験を放棄した。
そして1914年、第一次世界大戦が始まると、ドイツの物理化学・電気化学研究所の所長だったフリッツ・ハーバーが、フランス国内に侵攻したドイツに、フランスが毒ガスを使ったことを聞いて、毒ガスを使って早く戦争を終わらせるのは多くの人命を救うことにつながると考え、様々な戦争に使う毒ガスを研究した。催涙ガスから始まって、致死性の塩素ガス、ホスゲンガス、ジホスゲンガス、マスタードガスを研究開発し、それを詰めた毒ガス砲弾や毒ガス弾投射機も考案し、軍隊に毒ガス戦を指導した。