あ、最前線の方で変な煙が上がっている。
なお、催涙ガスはCSガス、人体には無害。塩素ガスは致死ガス。別のもの。
1915年1月31日、東部戦線のポーランド中央部のボリムフで起きた「ボリムフの戦い」の初日、ドイツがロシアに対して、初めての大規模な毒ガス攻撃を行った。
そして、1915年4月22日に西部戦線のベルギー西部のイーペルで、ドイツが、フランスとアルジェリア、イギリスなどの連合軍に対して、初めて塩素ガスを使用した。ドイツの陣地から5700本の高圧ガスボンベに詰められた150~300トンの黄緑色の塩素ガスが風下に放出され、風下の連合軍は狼狽して散り散りに逃げた。この日たった一日で連合軍の兵士5,000人が死んだという話もある。
西部戦線のイーペルの戦いは3回あった。初めて毒ガスが使われたのは1915年の「第二次イーペルの戦い」。ドイツが陣地から風下に黄緑色の塩素ガスを放出した。窒息状態に陥った連合軍はパニック状態に陥り、6キロに渡って連合軍の最前線は崩壊した。
1915年4月~5月には、このイーペルで人類史上最大の毒ガスが使われ、約5,000人の兵士が数分以内に死んだと言われる。
この出来事が世界中にニュースで広まり、各国は急ぎガスマスクを開発した。
そこで、イギリスも同じ1915年9月に塩素ガスを使用した。すると、同じ1915年12月にドイツがホスゲンガスを使用し始め、対抗してイギリスは、塩素とホスゲンの混合物のジホスゲンを使うようになった。フランスは独自にシアン化水素ガスの実験をはじめ、イギリスも最強の致死性ガスの開発をめざして、既知の化学物質15万種類の実験を急いだ。
毒ガスの使用は1918年まで続いた。毒ガス攻撃では、東部戦線のロシアが最も大きな被害を受けた。