俺たちの場合は事情がちがった…。
初めは草原で、いつものように、フツーに撃ちあっていたのを、ドイツの機関銃の弾に当たって死にたくないから、自然にくぼ地に身を潜めるようになった。
1914年9月に、隣国ベルギーを突破してフランス国内に侵略してきたドイツを、パリの東のマルヌ川で食い止めた初めの「マルヌ会戦」が終わったあと、人がドイツの新しい機関銃で大勢撃たれてバタバタ死ぬのを見てウンザリした連合軍の兵士たちは、地面に弾よけの穴を掘って隠れるようになった。
その穴は通称“キツネの穴”と呼ばれた。
キツネは穴に隠れるからな。
しまいに飽きて“キツネの穴”と“キツネの穴”とをつなげたら、かなり広くなった。
気がついたら…
複葉機から見ると、こんなに長くなっていた。
長すぎてよく迷うから、道路標識をつけたよ。
これが本当の「塹壕のはじまり」だ。
フランスも、初めはフツーにこうだった。平原で撃ちあっていた。
それから、穴を掘って隠れた。
そして、塹壕になった。
狭い塹壕にギュウギュウ詰めだったよ。
塹壕はネズミが多くて、「ネズミ捕り屋」が大繁盛したぐらいだ。
ドイツを相手に、フランスが大ゲンカだな。
それから、塹壕はだんだんよくなった。