1914年9月11日、フランスとイギリス遠征軍の予想外の対応の早さと激しい反撃に、はじめは6週間の短期間でフランスを攻略することを計画していたドイツはパリ占領を諦め、いったん、パリ北東のエーヌ川まで後退した。
ヨーロッパは広い草原が多い。平べったいんだ。
当時のドイツは、この機関銃を毎月毎月3,000丁も作っていた。どこに行っても機関銃だらけだった。
機関銃は古典的な軍の突撃戦法には効果的だ。実際、第一次世界大戦では、突撃がはじまると、機関銃の乱射で、本当に人がコロコロ死んだ。屠殺場になった。
日本軍の“バンザイ突撃”をそのまんまやってたな。
大量殺戮兵器だな。
毎分何百発も撃つ機関銃の弾には中世の鎧かぶとも意味ないからな。かんたんに突き抜けて終わりだ。
こんな映画あるよ。
このシーンは突撃してきたドイツ側がやられているが、本当は、各地の戦場で連合軍側のほうが死者・負傷者が多かったんだよ。突撃するのは連合軍のほうが多かった気がする。
持久戦に長けたドイツは防御を工夫した塹壕を作って、突撃してきた連合軍を迎え討った。連合軍は凄い被害だった。
日本軍の“バンザイ突撃”連発だったんだな。
左上の小さい塹壕がイギリスの塹壕。右側の大きな塹壕がドイツの塹壕。ドイツは長く複雑につながった塹壕を撤退して逃げて大きく迂回して、攻めてきた連合軍の背後に回り込んで、連合軍を攻撃した。連合軍は始終それで大被害をこうむって、結局、撤退を繰り返した。
イギリスに比べたら、ドイツは凄く塹壕がデカイな。
ドイツは多重防御だよ。ココに書いてあるよ。
“古い時代は、全ての軍事的リソースを局所的に最前線に配置した。この古い方式だと、最前線が敵に突破された場合、防御側の残りの部隊は包囲され、さらに弱い補給線を敵にさらす危険が存在した。これに対し、多重防御では、防御側が軍事的リソースを最前線のみではなく広く配置する。防御拠点、部隊は、最前線のみではなく、後方にも何重にも配置される。こうすると、敵は、防御が強固でなくなった最前線は比較的容易に突破することができるが、前進するたびに激しい抵抗に遭遇する。さらに奥まで敵が進軍するにつれ、敵の側面は弱体化し、その結果、前進は停止し、敵は最終的に前後から挟まれ、防御側に包囲される。
多重防御の場合、防御側には初めから撤退先が準備される。敵に蹂躙されたり、側面をさらす危険を避けつつ、撤退して、他の防御拠点や部隊が代わりに対応することで、前進する敵に犠牲を払わせることができる。また敵の前進を遅らせることで、敵の奇襲効果を軽減し、防御側がその間に次の防御の準備を行い、さらに反撃を準備する時間を得ることができる。多重防御はとくに、伸び切った最前線において、攻撃のために局所的に兵力を集中している敵には効果的である”
連合軍側をヒーローに描いているけど、本当は、ほとんどボロボロだったんだよ。ドイツが機関銃が多かったし、塹壕も複雑な多重防御の塹壕を作った。連合軍は突撃して攻め込んでドイツの陣地を奪取しても、すぐドイツに陣地をとり返されて失敗した。そんな失敗を繰り返した。
穴の下はこんな地下室になっていた。
こんな構造。地下に兵士がいっぱい隠れていた。
これは防空壕だな。激しい砲爆撃から逃げて隠れるためだ。外にいたら死ぬからだ。
撤退して逃げたり、地下に隠れたり、背後に回り込んだり、ドイツは厄介な敵だな。
突撃とか、単純に体当たりしてくる敵より厄介だよ。
連合軍と違って、ドイツはそーとー戦術を研究してから侵略したんだな。まるでマニアだ。
こんな地下室があったから、連合軍の突撃前の事前砲撃が効果なかったんだな。
でも、この頃は木造だから、けっこう壊れたんじゃないの。
これは、当時のドイツの塹壕の地下避難壕への入り口。
砲撃があると避難する所だな。
じつは…ドイツには大きな地下室もあった。これは、第一次世界大戦のドイツの地下の司令部だ。本物だ。それから、これはフランス北部のソンムの地下にあった。ドイツの司令官クラスの地下寝室だと思われる。映画のセットではない、全て大戦中の本物だ。